食事を終えて、スヴォルノスティ広場へ戻りました。
目当てはチーズ。
先に通りかかったときに試食した娘が、買いたがっていました。
もう食事も終えたので400CZK(1,800円)の現金も使い果たせます。
買ったのは、ブルーチーズとパルメザンチーズのように削って使うタイプのもの。
ふたつで191CZK(880円)はかなりお買い得だと思いました。
ランチが少なめだったので娘はさらにクレープ、私はホットワイン
クレープはヘーゼルナッツチョコレートをくるんで、ココナッツをトッピング
90CZK(420円)はちょっとお高め。
これと比べるとチーズの割安感がよくわかりますよね。
聖ヴィート教会へ向かいました。
もうミサも終わっているはずです。
この地は、激動の地です。
歴代、ボヘミアの有力貴族がこの地を治めてきましたが、
支配階級のドイツ系住民と被支配階級のチェコ系住民が暮らしていました。
それでもインドのカースト制度と同じく生まれながらの格差なので、特に軋轢もありませんでした。
19世紀に入り、オーストリア=ハンガリー帝国の一部になると、
民族主義が叫ばれるようになり、学校教育等、民族で分離するようになりました。
ドイツ系住民、多いですね~
第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると、
チェコスロバキア領になりましたが、なんせこのドイツ系の多さ。
彼らの不満が大きくなっていくわけですね。
それに乗じてチェスキー・クロムロフを占領したのが、ナチス・ドイツ。
散々町を破壊して、結局ドイツは敗戦。
チェスキー・クロムロフはチェコスロバキア領に復帰するわけですが、
ドイツ系住民から市民権と私有財産を剥奪、没収し、追放する処分が下されました。
この伝統的住民の多くが町を去ったことで、チェスキー・クロムロフは荒廃します。
だって大多数を占めていたドイツ系住民が去り、
彼らの住んでいた家が無人化するわけですからね。
城郭などの歴史的建造物を「封建時代の遺構」とみなし、
価値を否定したことも荒廃に拍車をかけていったようです。
中心部はゴーストタウン状態。
完全なる内政干渉ですが、どこも手を差し伸べません。
ちょうどベルリンの壁が崩壊した年ですね。
東欧に民主化の波が押し寄せたときです。
しかしそういった混乱期、ドイツ系住民が追放された空家に、
人口回復のためロマと呼ばれる移動型民族の定住化を促進する施策が取られました。
ロマはジプシーとも言われていますね。
彼ら独自の習慣はもとの住民たちには受け入れ難く、今なお厳しい差別が残っているそうです。
民族間の問題というのは、どこででも根が深いんですね。
そんなわけで、チェスキー・クロムロフの復興は観光化とともに進んでいます。
だから、町はどこか生活感がありません。
歴史的建造物だけれど、お店が計画的に配置されているといったふうですね。
クロムロフ城周辺は、観光用に作られた町とも言えるのです。
確かに、教会の中も新しい感じがあります
ビロード革命からまだ30年も経っていないわけですから、
ディズニーランドよりも新しい部分もあるわけですもんね。
ひとつひとつ見ていくと復興感満載
バスの時刻まで30分ほどありますが、ぼちぼちバス停へ戻ります。
途中、自動販売機で水を買いました。
チェスキー・クロムロフともお別れです。
4時間で足りたかと問われたら、お城にも入れない冬なら充分だったと思います。
元日でなければ、お店ももっと開いていただろうし、
私たちも、こんなに現金枯渇で訪れていなければ困らなかったし。
バス停もしっかりチェック
元日でなければ、傍にバスセンターもあったのでそこも開いていたと思います。
現地でチケットを買おうと思っていたら、こんな日は大失敗でしょうね。
バスが到着し係りのおねーさんに英語で話しかけますが、
予約がない人は相手にできないとばかりに、まったく話も聞いてやらないんですよ。
ほんと、チェコは無愛想な対応が多かったです。
そうそう、行きと違ってちゃーんと係りのおねーさんがいました。
予約も一覧表で即確認。
バスの入口には日本語表記もあります
放置されたバックパッカー、1時間後のバスも満席と知っている私は気が気じゃありませんでした。
ほかの乗客も「オレは1ヶ月も前に予約を取った」なんて言ってるし、
電車の駅を教えてあげたりもしていたけど本数が少ないうえ接続もあるから、
今日中に辿り着けるのか、ますます心配。
じーっと待っているということは、見込みがあるんだろうか?
車内は空席多いし、乗れるといいよね。
出発時刻直前、やっと彼がバスに乗り込んできました。
あ~ よかった。
バスが発車すると、ヘッドホンが配られました。
行きはありませんでしたよね。
次は飲み物のサービス。
真ん中の階段のところに自販機がありましたから、確かに行きも飲んでいる人たちはいました。
でも、それが無料だとは知らなかったんですよ。
しかもおねーさんが注文を聞いて入れてくれるんですよね。
始発だけが運転手のみで出発するということだったのでしょう。
発車時、車内はすいていましたが、途中駅で続々乗り降りしていました。
現地の人にとってもよく利用する路線なんですね。
相変わらず、外はこのとおり
雪が積もっているよりも、もしかしたら寒いのかもしれないという気がしました。
まさに、凍てつく大地です
バスで冊子を眺めていると、Student Agency社の路線図が載っていました。
バス移動はそこが目的地かどうか確かめにくく、ハードルが高いと感じるので、
できるだけ検討しないようにしていますが、なかなか各地を網羅しています。
電車とバス、うまく組み合わせてあちこち行こうってことでしょうかね。
これで15時45分。もうすっかり夕暮れです。
帰りは道路工事をしている個所があったので少し渋滞しましたが、定刻に戻ってこられました。
あとは、荷物を取りに戻って、プラハ空港傍のホテルに移動するだけです。
柱がごっついですが、通路じゃなくてホームです。