英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【秋田】はじめての秋田4日目-1 久保田城跡「千秋公園」

2017年(平成29年)3月20日(月)
 
今まで足を踏み入れていない都道府県は、北から青森・秋田、南が愛媛・佐賀・宮崎・鹿児島と残すところ6県。今回はそのうちのひとつ秋田県を訪れています。
前回記事はこちら。
はじめての秋田も最終日。翌朝早く、相棒は次の目的地へ発って行きました。
見送りに来たバスターミナル、かっこいいんです。なんと秋田杉で作られているんです。

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調べてみると、2014年のGOOD DESIGN賞を受賞していました。

ただ、椅子の仕切りに金属が使われているのですが、夏になると熱せられて火傷の危険があるようで、そういう注意書きもありました。難しいんですね。
 
面白かったのがこれ。バス停の近くに立てられていた看板です。 
 
バスが出発すると、すぐに信号があるんです。スクランブル交差点で歩行者が渡れるとき、バスは結構長い時間信号待ちをすることになります。本数も少ないことでしょう。きっとそこへ寄ってきて「乗せて」って言うんでしょうね。ちょっとウケました。
 
チェックアウトは11時。きのう通ることしかできなかった千秋公園を散歩することにします。くるりん周遊パスは、徒歩圏ではあと、千秋公園久保田城御隅櫓と、佐竹資料館千秋美術館に入ることができます。久保田城御隅櫓は3月いっぱい冬の閉館期に当たっていましたが、おそらく今年は雪が少ないのでしょう。ちょうどこの日から入れると、きのう通ったときに張り紙がしてありました。
 
千秋公園は久保田城跡地です。遠く見えるのは、久保田城表門とその右手に御物頭御番所。 


久保田城表門

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裏へ回ると階段がむき出しなんです。京都の南禅寺へ行くと上ることもできますが、この造りだと料金を徴収する場所もない。

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表門の隣には御物頭御番所。門の開閉や警備のために足軽が詰めていた場所です。表門と御物頭御番所の位置関係はこんな感じ。 
 
この時間はまだ閉まっていましたが、9時に開いたあと中を見学できました。 1757年に焼失したのちに再建され、今も当時と同じ位置に残っているのは、ここだけなんだそうです。

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公園内を通って最後の秋田藩12代 佐竹義堯の像を通ります。この像は、敬慕する家臣たちが戊辰戦争後50周年を記念して、大正4年に建立したんだそうです。でも、第二次世界大戦の金属回収策で没収されてしまいました。それを惜しんだ市民有志が、昭和28年に小型の銅像を建立しましたが、市制100周年を記念事業として、平成元年に完全復元されたんだそうです。秋田の人たちに親しまれた藩主だったんですね。

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明治13年久保田城は大火で焼失したのですが、その跡地を近代的な城跡公園として整備しました。完成は明治30年。城跡を公園化する事業は、全国でも初の試みだったそうです。市民憩いの公園ですね。

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9時を待って訪れたのが久保田城御隅櫓。こちらも市制100周年記念事業で再建。8つあった櫓のひとつです。

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エレベーターで上がれるのですが、素晴らしい眺望が広がっていました。

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太平山

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清水公園と遠く見える男鹿半島

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右奥にかすかに見えるのが男鹿半島です。案外近く見えました。その手前、端から端まで木々が茂って見えるのが高清水公園。もともと秋田城は、この高清水公園に建てられていました。初代藩主佐竹義宣が秋田へ国替えになったあと、より防衛に向く場所としてここを選定し、久保田城を築城しています。

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ところで、佐竹義宣はもともと伊達正宗と対峙し、水戸をはじめ東北を広く掌握していました。関ヶ原の戦い後、もともと豊臣秀吉と通じていたことから、豊臣派とみなされ、秋田藩へ転封されました。史実によると、おそらく中立を保っていたはずだと推測されるが、東北で大きな勢力を持っていたことを恐れたためもあるだろうということです。 
石高も知らされず秋田藩主になった佐竹義宣。なかなか厳めしい風貌です。財政事情然り、また徳川家康への忠誠を示すため、久保田城は城壁も天守閣も作らなかったそうです。

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石高も知らされずに減知移封されたことを示す権現様御判物は、佐竹資料館に写真で展示されていました。20万5千石と決まったのは、次代になってからだそうですよ。辛抱したな~

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佐竹資料館には収集された美術品や佐竹家ゆかりのものが展示されていました。
陣羽織

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化粧道具 

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そのあと、千秋美術館へも向かいました。撮影はできませんでしたが秋田県産品プラザと同じ建物の中。前衛的なまーったくわからない絵もありましたが、久しぶりにまったり美術館を回れたのは良かったです。
 
そうそう。冬でもババヘラアイスのおばちゃん、いるんですね。秋田では有名な露店でアイスクリームを売っているおばちゃんたち。「ババ」が「ヘラ」で「アイス」を盛り付ける=「ババヘラアイス」だそうです。夏だけじゃないんですね~

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千秋公園を抜け、この背後に秋田県立美術館があるのですが、正面に屋根が見えているのは旧秋田美術館です。
 
さて。チェックアウトの時間が近づいてきました。 
次回の記事はこちら。