2017年(平成29年)3月20日(月)
はじめての秋田も最終日。翌朝早く、相棒は次の目的地へ発って行きました。
見送りに来たバスターミナル、かっこいいんです。なんと秋田杉で作られているんです。
調べてみると、2014年のGOOD DESIGN賞を受賞していました。
ただ、椅子の仕切りに金属が使われているのですが、夏になると熱せられて火傷の危険があるようで、そういう注意書きもありました。難しいんですね。
面白かったのがこれ。バス停の近くに立てられていた看板です。
バスが出発すると、すぐに信号があるんです。スクランブル交差点で歩行者が渡れるとき、バスは結構長い時間信号待ちをすることになります。本数も少ないことでしょう。きっとそこへ寄ってきて「乗せて」って言うんでしょうね。ちょっとウケました。
チェックアウトは11時。きのう通ることしかできなかった千秋公園を散歩することにします。くるりん周遊パスは、徒歩圏ではあと、千秋公園の久保田城御隅櫓と、佐竹資料館、千秋美術館に入ることができます。久保田城御隅櫓は3月いっぱい冬の閉館期に当たっていましたが、おそらく今年は雪が少ないのでしょう。ちょうどこの日から入れると、きのう通ったときに張り紙がしてありました。
久保田城表門
裏へ回ると階段がむき出しなんです。京都の南禅寺へ行くと上ることもできますが、この造りだと料金を徴収する場所もない。
この時間はまだ閉まっていましたが、9時に開いたあと中を見学できました。 1757年に焼失したのちに再建され、今も当時と同じ位置に残っているのは、ここだけなんだそうです。
公園内を通って最後の秋田藩主12代 佐竹義堯公の像を通ります。この像は、敬慕する家臣たちが戊辰戦争後50周年を記念して、大正4年に建立したんだそうです。でも、第二次世界大戦の金属回収策で没収されてしまいました。それを惜しんだ市民有志が、昭和28年に小型の銅像を建立しましたが、市制100周年を記念事業として、平成元年に完全復元されたんだそうです。秋田の人たちに親しまれた藩主だったんですね。
9時を待って訪れたのが久保田城御隅櫓。こちらも市制100周年記念事業で再建。8つあった櫓のひとつです。
エレベーターで上がれるのですが、素晴らしい眺望が広がっていました。
右奥にかすかに見えるのが男鹿半島です。案外近く見えました。その手前、端から端まで木々が茂って見えるのが高清水公園。もともと秋田城は、この高清水公園に建てられていました。初代藩主佐竹義宣が秋田へ国替えになったあと、より防衛に向く場所としてここを選定し、久保田城を築城しています。
ところで、佐竹義宣はもともと伊達正宗と対峙し、水戸をはじめ東北を広く掌握していました。関ヶ原の戦い後、もともと豊臣秀吉と通じていたことから、豊臣派とみなされ、秋田藩へ転封されました。史実によると、おそらく中立を保っていたはずだと推測されるが、東北で大きな勢力を持っていたことを恐れたためもあるだろうということです。
石高も知らされずに減知移封されたことを示す権現様御判物は、佐竹資料館に写真で展示されていました。20万5千石と決まったのは、次代になってからだそうですよ。辛抱したな~
佐竹資料館には収集された美術品や佐竹家ゆかりのものが展示されていました。
陣羽織
化粧道具
そのあと、千秋美術館へも向かいました。撮影はできませんでしたが秋田県産品プラザと同じ建物の中。前衛的なまーったくわからない絵もありましたが、久しぶりにまったり美術館を回れたのは良かったです。
そうそう。冬でもババヘラアイスのおばちゃん、いるんですね。秋田では有名な露店でアイスクリームを売っているおばちゃんたち。「ババ」が「ヘラ」で「アイス」を盛り付ける=「ババヘラアイス」だそうです。夏だけじゃないんですね~
さて。チェックアウトの時間が近づいてきました。
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