英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【クロアチア】1日目-3 ドゥブロヴニク城壁廻り

 
宿を出てピレ門へ戻ります。
1997年、世界遺産に登録された旧市街をその城壁から眺めることができます。
 
城壁へ上る入口はここ。入ったところで、300HRK(≒2,520円)支払います。結構高いですよね。
階段を上がると、一方通行と書いてあります。
1周2km。普通に回れば40分ぐらい、写真を撮りながらゆっくり2時間ぐらいが目安です。
f:id:fuwari-x:20190621164645j:plain 
 
ピレ門の上、旧市街の入口から城壁廻りは始まります。
正面がメインストリートのプラツァ通り。
左側がフランシスコ会修道院、右側手前にオノフリオの大噴水という位置です。 

f:id:fuwari-x:20190621164650j:plain

 
振り返るとピレ門へ入ってくる橋が見えます。バス停も見えますね。
右側からバスは入ってくるのですが、ここが細い道なので、
バスが溢れるとすぐに道路を閉鎖する形になってしまい、渋滞が起きてしまうのです。 

f:id:fuwari-x:20190621164654j:plain

 
歩いてきた方角を振り返ると、通った城壁とスルジ山が見えます。
スルジ山へはロープウェイで上れますが、
内戦で破壊され2010年に再建されたのだそうです。 

f:id:fuwari-x:20190621164701j:plain

 
少し行くと、湾の向こうにあるロヴリェナツ要塞が見えます。
右下に屋上が丸く広くなっている箇所がボカール要塞。 

f:id:fuwari-x:20190621164706j:plain

 
旧市街は住居もあるので、洗濯物がはためいています。
どこもこうやってロープで干してありました。 

f:id:fuwari-x:20190621164711j:plain

 
海へ目を向けると、さっきとは違いぐっと青いですね~
城壁にはいくつもの砦が設けられており、それぞれ聖人の名前が付けられています。
 
城壁の外にベージュの日除けがあり、カフェでした。
翌日ここを通るのですが、なかなか入口を見つけるのが難しい場所です。
 
城壁廻りをしているあいだにも、途中いくつもカフェがありました。
この日でも暑かったので、これから夏にかけて休憩する人も多いことでしょう。 

f:id:fuwari-x:20190621164715j:plain

 
城壁の内側には学校もあるのですが、これは校庭なんだろうか?
出口付近にもコートがありました。
 
そういえば、宿の向かい、レストランのテーブルを出している隙間にも扉があって、翌日の朝、散歩を終えて戻ったとき、子どもたちが次々に入ってました。
そこも幼稚園か小学校だったと思いますが、登下校以外門は閉ざされているようで、まったく気づきません。 

f:id:fuwari-x:20190621164720j:plain

 
空港の方角はこちら。
そう言えば、海側は撮っていませんでした。
ひたすら青い海が広がっていたので、見とれるだけで終わっていました。 

f:id:fuwari-x:20190621164727j:plain

 
内側を眺めると花がきれいだったので写してみました。
パラソルの傍に猫がいます。
 
水色のベンチに1匹、パラソルの左手前にも1匹尻尾が見えています。
ここ、猫がすご~くたくさんいるんですよね~ 
特に朝、人がまだ多くいないときにかなり遭遇しました。 
 
聖イヴァン要塞へ到着しました。
ここからはアドリア海クルーズの発着場所である旧港が見えます。
  
カフェもいくつかあり、パラソルが見えています。
カフェのあたりがこれから向かう方角です。
街に溶け込んで、城壁なのか建物の壁なのかわかりにくいですよね。
 
左手に工事の足場がある建物はドミニコ会修道院
よく見ると、屋根の色がまわりと違っている建物がありますね。
鮮やかなオレンジは内戦後に修復された屋根です。
被害に遭わなかった建物は暗い色ですね。 

f:id:fuwari-x:20190621164739j:plain

 

ドゥブロヴニクは、1991年ユーゴスラビアから独立しています。

 ドブロブニクの位置をフォーカスしてみると、モンテネグロと隣接していますね。

 歴史的にもドゥブロヴニクモンテネグロの一部だったそうです。 

f:id:fuwari-x:20190621164743p:plain

 
当時モンテネグロの政権はセルビア人政府に忠誠を尽くすモミル・ブラトヴィッチが担っており、ドゥブロヴニククロアチアに残ることは容認出来ないと宣言。
そして、ユーゴスラビア人民軍に残っていたセルビア・モンテネグロによって攻撃されてしまいます。
 
10月1日より7ヶ月間包囲され、砲撃により多大な損害を蒙りました。
でも、ドゥブロヴニク市内で多数を占めるのはクロアチア人で、モンテネグロ人は6%に過ぎなかったそうです。
 
1979年に世界遺産に登録されていたドゥブロヴニクは、独立後も非武装宣言しています
それを攻撃したわけですから、かなり非難されていますね。
内戦終了後、ユネスコガイドラインに沿って忠実に修復が行われました。  
 
さっき見えたドミニコ会修道院の位置から聖イヴァン要塞を臨みます。
メインストリートのブラツァ通り突き当りにあるルジャ広場の鐘、その左に大聖堂と聖ヴラホ教会が見えています。 

f:id:fuwari-x:20190621164747j:plain

 
狭い通りは上からだとよく見えます。
ここはプジャ門、スルジ山へのロープウェイに乗るときの出口位置です。  

f:id:fuwari-x:20190621164753j:plain

 
この階段を下りていくと、プラツァ通りに出ます。
かなり急な階段で、しかもかなり長く続いています。
  
帰る日はこの坂を上り、ロープウェイ乗り場傍のバス停からの出発です。
出発までに下見も必要です。
 
洗濯物を派手に干しています。向かいの建物に輪っかがあり、そこにロープを通しています。こちら側に引っ張ると手繰れる仕組みでした。 

f:id:fuwari-x:20190621164757j:plain

 
こうして、こちら側はプラツァ通りに向かって階段で降りる通りが続きます。
当初、この階段沿いに宿を取っていましたが、平坦な場所に変更しておいてつくづく良かったです。
 
最後の見どころはミンテタ要塞。城壁の中で最も高所にあります。 
1319年の建造で、15世紀にフィレンツェの建築家バルトロメオが再建。

f:id:fuwari-x:20190621164801j:plain

 
 階段を上ると、街を一望する絶景が待っています。 

f:id:fuwari-x:20190621164806j:plain

 

ミンチェタ要塞を振り返ると、スルジ山も見えます。 

f:id:fuwari-x:20190621164811j:plain

 
さて。ここで城壁廻りも終わり。
もう16時。割に早く回ったと思っていましたが、1時間経っていました。 

f:id:fuwari-x:20190621164816j:plain

 
所要時間は2時間と書かれていますが、 あまりの美しさに立ち止まって眺めてしまうためもあるでしょう。
夏休みになるともっと人が多くて、きっと思うように歩けないはずです。 
 
食事もせずにこの時間になってしまいました。
ランチともディナーともつかないこの時間、先に3ヶ所候補を探していましたが、もっとも近いタコのサラダとムール貝のある城壁外のレストランを目指しました。