2017年(平成29年)9月10日(日)
前回記事はこちら。
なーんとなく居心地の悪いお寿司屋さんでのランチは、わずか40分で終わりました。きのうに引き続き、今日も松陰神社方面へ行くバスの時刻が迫っています。境内にある松下村塾へは是非行かねばなりません。バスは30分に1本しかありません。
途中、道の駅萩しーまーとでいったん降車。タコが安くて欲しかった!いくつかお土産を買って、30分後の次のバスで松陰神社へ。
鳥居をくぐってまっすぐ進むと、いよいよ処刑を覚悟した吉田松陰が、両親に書き送った永訣の一首が刻まれている場所に出ます。 数えで30歳、時代の流れで世を去るには若過ぎですよね・・・
さらに向こうに、松下村塾。こんなに狭いのかとびっくりしました。左手に見えるのがのちに門人で建てたところで、当初は右側の建物だけでした。
最初に建てられた部屋。わずか8帖のこの部屋に80名が学びに集まっていたそうです。
こちらはあとで建てられています。あまりに狭いので、みなでもう1室建てたんですね。学びというのは、本来そういうものなんですね~
それと同じように、幽閉されたあと、再び孟子の講義を再び始めるんですね。そこへ大勢の人が学びにやってきたので場所を移した、それがいわゆる松下村塾です。もともと、その名は松陰自身も教わった、彼の叔父が開講した塾の名前です。
多忙になって閉鎖したあと、伊藤博文も教わったという松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承しています。
実家はかなり広いです。こんなにゆったりしているお屋敷の中で、松陰に許された空間はいかばかりだったか。
ここには変わったおみくじがあって、この日は売り切れていましたが「傘みくじ」。結んでおくと木が華のように見えます。
私はまったくもって歴史に疎いのですが、幕末のころの歴史ファンには、必見、垂涎の地なのでしょう。見学した施設でも「うちは足軽だったから」「僕は○○の家臣の末裔で」などと、身近なものとして語っている人たちがいました。
このあと、伊藤博文別邸へ向かいました。ここも共通券で入れるところです。是非とも見学するようにと、他の施設の人に言われて足を運びました。 松陰神社からは5分ほど。
伊藤博文別邸はかなり広い敷地でした。隣に旧宅があるのですが、屋根の葺き替え中なのか工事中っぽかったです。
敷地には伊藤博文像がありました。
別邸は、東京・品川の広大な建物から、往時の面影をよく残す一部の玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築しています。 ここは明治天皇との御前会議を行う予定だった部屋で、照明はスペインから取り寄せたものだそうです。
畳五枚分の一枚杉板の鏡天井です。手前が杉の根元側で、奥に向かって伸びるように張られています。これが一枚板だということは相当に樹齢を重ねた杉ということですね。
廊下を降りて2階へ上がると離れの座敷になります。下級武士だったの子だった博文が、明治の世で初代総理大臣に昇りつめる。見られませんでしたが隣の旧宅の小ささと比べると、その立身出世が対比されます。
庭の石灯籠は明治天皇に贈られたものだそうです。紋章を見ると左右で形が違い、右が菊の紋章、左が桐の紋章となっています。
このお店では、娘が見つけるんですね。大きさとしてはカフェオレボウルぐらいの感じ。でも、一般的な萩焼の淡い桃色と違い、赤鉄釉のすごい個性の逸品です。
この濃い色。正しく萩焼の伝統の技法に定められたものだそうです。ただ、赤鉄釉を使っているのはこの窯だけだとか。
ところで、最後のトラブルのひとつめは、娘がしでかしました。旅館へ戻ると、スマホがない!と。バスの中で触っているのを見ていたので、落としたのはバスに違いありません。
旅館の人からバス会社に電話を入れてもらいました。どのバスか特定はできていましたが、なかなか返事がありません。タクシーにももう乗らなければ、間に合わない。
ちょうどタクシーに乗り込んだところで無事発見の連絡が入りました。帰りの空港は萩・石見空港。スマホを探してくれた場所は萩しーまーとのバス停だったので、そこへ預けてもらえれば、取りに寄ることもできる場所でした。でも、こちらがご迷惑をおかけしているのに、それをお願いすることはできません。着払いで送ってもらうことになりました。
所要時間は1時間半ほど。タクシーのドライバーさんに「スマホ、ポケットにでも入れてたの?」と聞かれて、「そうなの」と会話していた娘。
でも、タクシーは萩しーまーと方面ではなく、街中を抜けていきます。私は車の運転をしないので、高速道路にも自動車道にも疎い。どんなルートを走るのだろうと、ちらりと思っていました。
道路の脇には、できたばかりの萩・明倫学舎の看板があちこちにあります。盛り上げていこうとしているのだなぁ、などと感想を漏らしながら、それでも、なんとなくタクシーが山口の標識に沿って走っている気がして、落ち着きません。
30分ほど走ってから思い切って聞いてみました。
これ、萩・石見空港に向かって走っていますよね?
すると、タクシードライバーの悲鳴が。
ええええぇぇぇぇ~っ!
山口宇部空港に向かっています!
びっくりしましたね~
ドライバーさんは、すぐに引き返し始めてくれました。この場所からだったら、ギリギリだろうけどまだ間に合う。声をかけてくれて、本当に助かった・・・と。
これには思い当たる節がありました。空港送迎のタクシーは前日予約が必要です。長門市から萩へ向かっているとき、私のスマホの充電はわずかになっていました。しかも行程表を忘れたので、電話番号もスマホで調べなければわかりません。だから、旅館に到着して、フロントの人に予約をお願いしたのです。
まだ若いその人は、なかなか私の言う便が見つけられないようでした。便名を言っても、出発時刻を言っても、時刻表を眺めながら探し出せずにいます。HPによると、15時半に迎えに来るはずだとも言いました。
その彼は、たぶんまだ新人さんだったのではないでしょうか。頭の中は山口宇部空港と思い込んでしまっている。でも、私の言う搭乗便はない。迎えの時間まで指定しているのだから、それで手配すればいい・・・恐らくそんな流れだったんじゃないかという気がします。
乗り遅れたら、その日に帰る便はもうありませんが、たいした話ではありません。むしろ、ドライバーさんが急ぐあまりに事故を起こす方が心配です。私自身は焦らないように、のんびり構えていることにしました。「間に合いますか?」も聞きませんでした。
幸い、出発20分前には到着しました。しきりに恐縮していましたが、きちんと確認しなかったのはこちらも落ち度。誰が悪いという話ではありません。チップを加えて渡すと、たぶん、その思いが伝わったのか、ホッとされていました。
ドライバーさんと話をしていた中で印象的だったのは、日本の未来のために邁進した伊藤博文への感想でした。今の世の中は伊藤博文が思い描いていた世界だろうと思う。ここまで発展するとは思っていなかったかもしれないほどの発展を遂げた。しかし、彼のやったことは中央を発展させただけだった。あれをこの萩にいて、萩で成し遂げてほしかった、と。
昨今、東京の一極集中が叫ばれていますが、地方が元気でないと国は回りません。ノルウェーでも極北の地に住まう人には、減税などの優遇を与え、インフラを守るために住み続けてもらう策を立てています。場当たり的な政策ではなく、日本全体の未来まで見据えた政治を望みたいですね。
【完】