英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【ANA SFC修行 長崎】1日目-3 グラバー園~中華料理「江山楼」でちゃんぽん

2018年(平成30年)10月20日(土)
 
ANAの上級資格を取るべく思い立ったマイル修行の一環で、長崎へ1泊2日で来ています。
前回記事はこちら。
ホテルを出て、グラバー園へ向かいました。ここは社員旅行で行っていますが、まぁベタな観光地に行くのもいいでしょう。迷っているほどの時間もありません。時刻は既に16時。
 
それにしても、西ですね。16時でこの明るさというのは羨ましい。私が東へ向かって転居したとき、一番つらかったのは日暮れの早さでした。こんなに違うものかと思いましたね。 
 
ところで、まだ自分の位置がよくわかっていません。海はすぐそばにあるはずなのですが、見渡すとすべて陸地。長崎湾は細長いので、海の位置がさっぱりわからないのです。
そこへドデカいマンションが見えました。なんなんだ?あれは。

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ここまで近づけばわかりますが、遠目には全貌が見えなかったので、壁のように立ちはだかるマンションに見えたんです。巨大客船はどうやら中国から寄港している模様。大きさにも圧倒されましたが、湾内をこの大きさで航行できるとは、長崎湾の水深はどれほどあるんでしょうね~ 

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大浦天主堂が見えてきました。1597年2月5日西の坂で殉教した日本二十六聖人に捧げるため、1865年に建てられたもので、世界遺産に登録されています。
この二十六聖人は豊臣秀吉の命によって磔の刑に処された26人のカトリック信者で、キリスト教信仰を理由に最高権力者の指令により行われた最初の処刑でした。この殉教はヨーロッパその他に広く伝わり、ローマ教皇ピウス9世によって列聖され(列聖=信仰の模範となるにふさわしい信者を聖人の地位にあげることをいう)日本二十六聖人と称せられました。この中には12歳の少年を含む3人の子どももいました。 

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まずはグラバー園へ行くべくこの前を通り過ぎますが、私の記憶にあるグラバー園エスカレーターがあったことぐらい。他に思い出すことはあるでしょうか。 

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記憶通りエレベーターを乗り継いでいって見えるのが、旧三菱第2ドックハウス。まったく記憶にありません。

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建物の中から見渡すと正面に稲佐山、そしてさっきの豪華客船が見えます。なるほど~ この狭い湾だから対岸が近過ぎて海の存在がわからなかったのか~ 
  
下へ降りて左に目をやるとながさき女神大橋が見えます。

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それでもまだ、どっちへ行けば外海へ出られるのかわかっていません。長崎湾は狭く細長いので、湾内の安全が護られる良い港なのだと思います。 
 
さて、続く邸宅はまたしても登場、旧リンガー邸
長崎ちゃんぽんチェーン店、リンガーハットはこの名にあやかったそうですが、英国人リンガー氏は若くして広東に渡り、英国系会社で茶の検査官をしていました。そのときにグラバー氏と知り合い、グラバー商会に製茶事業技術顧問として入社。

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その後、グラバー商会を引き継いで長崎の主要な貿易品、茶を輸出、英国からは機械、造船機材、鉄板板ガラス、毛織物、洋酒などを輸入販売。他、数10にも及ぶ銀行や保険などの事業公社の代理業務も兼任していました。

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豊かな生活が窺い知れますね。

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蓄音機やオルガンもありました。

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続くは旧オルト住宅
やはり製茶業を営んでいた英国人オルト氏が3年間住んでいました。オルト氏はその後、大阪や横浜にも滞在しています。

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正面の噴水は、当時からあったもの。

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この建物は、活水女学校の校舎、米国領事館として使用されたのち、リンガー氏の所有となり、ご長男一家が太平洋戦争前まで住んでいたそうです。

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建物は撮っていませんが、この先にあった旧スチイル記念学校には、グラバー氏の息子、倉場富三郎氏の絵が展示されていました。富三郎氏は米国に渡り大学生物学を学んでいますが、魚市場に水揚げされた水産動物の日本西部及び南部魚類図譜を編纂しています。

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この図譜通称グラバー図譜は全34巻805枚にも及ぶそうですが、この精巧さ。貴重な資料として高く評価されています。

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最後にグラバー邸
開国直後の1859年、グラバーは弱冠21歳で上海を経由して来日しています。やがて、日本の再建に外国人商人としての立場を超越した活躍を見せ始めました。

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日本再建に向け、若い志士たちに国際的な目を開かせることが先決だとして、伊藤博文をはじめ数多くの若者の海外勉学の旅を斡旋しています。次に、産業立国の方針を打ち出す日本に協力し、造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業の分野を開拓しました。1865年の鉄道開通の7年も前に大浦海岸に蒸気機関車を試走させています。他にも、近代式修舟場を設けたり、高島炭坑を開設するなど、日本の近代化に大きく貢献したのだそうです。
 
でも、息子の倉場富三郎氏はハーフだったので戦時中スパイ嫌疑をかけられ、苦労したようですね。戦後すぐ、縊死しています。スパイ嫌疑を晴らすため、積極的に戦争に協力したこともあって、戦犯の罪に問われるのを恐れてのことだったという説もあるようです。 
 
出口には長崎伝統芸能がありました。
370余年の歴史と伝統を持つ秋のお祭り、長崎の大祭長崎くんちに奉納される龍踊りの白龍、青龍、各町が所有する山車(船)などが展示されていました。

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旧暦9月9日に行っていたことから9日=くんちと呼ばれるのだそうですが、翌日参加したツアーガイドさんの説明では、今ではこれに限らずお祭りのことをくんちと言うようです。
 
18時。もうどこへ寄る時間もなくなりました。坂を下りていると、どうやら豪華客船が出航するようで、地元の中学生かな?ブラスバンドの演奏で送り出しているところでした。

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このノルウェージャン・ジョイ号は昨年できたばかりで3,800余名の定員です。2日と空けず、天津や上海などからこういった客船が寄港するようで、彼らのお土産の量から察するに、かなり長崎を潤していると感じました。
 
グラバー園から見えたながさき乙女大橋は確か65mの高さだそうですが、この下をくぐる客船との差は、最小のたった2mしかないと聞きました。翌日、この橋を下から眺めたのですが、それを間近で見たら圧巻だと思います。 
 
この日は、もう食事はしなくてもいいぐらいでしたが、長崎に来たからには食べたかったちゃんぽん、食べる機会がなさそうだったので、中華街へ出向きました。
 
中華街はどこも閑古鳥。
でも、1軒だけ他より値段が高いのに大流行りのお店がありました。江山楼(コウザンロウ)長崎中華街本店です。
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すぐ近くに新館もありますがいずれも満員で、名前を伝えてから20~30分待ってやっと入店できました。

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ちゃんぽん
 
いずれも1,000円(税別)は他よりも200円前後高いです。でも、見てのとおりこの具材、どちらも同じですよね。・・・とりあえず、ベタな長崎の味はいただきました。 
 
ところで、豪華客船を見に行ったときに埠頭の近くの道に「花火大会につき20~21時交通規制」という看板を見つけました。食べ終えてからそちらに向かって出掛けると、なーんとなく人が集まっている感じがします。でも、都会の人だかりではなくて「なんとなく」なんです。
どんどん港の近くにある公園に近づいてみると、確かに音が聞こえてくる。うん。なにかはやっているようだけど、花火大会って書いてあったよね?
 
お巡りさんも警備に当たっているし、向こうのステージではバンドが演奏中。なのになに?この長閑さ。聞きたい音楽でもなかったし、演奏終了後に花火が上がるんだろうと思いましたが、待っていられないのでホテルへ戻りました。戻る途中も、なーんとなくまだ人が集まってきていますが、ほんとパラパラと。
 
中華街を通り抜けると、このあたりは閉店が早くて20時で終わりなんですね。江山楼もまだ店内に人はいましたが、もう閉まっていました。
 
部屋についた途端、ドドーン !!!と花火の音。
おお~ あともう少し待っておけばよかったか~
 
こうして1日目が終わって行きました。
2日目は遠藤周作「沈黙」の舞台をめぐるツアーに参加します。
次回の記事はこちら。