英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【ANA SFC修行 長崎】2日目-2 遠藤周作「沈黙」の舞台をめぐる 出津地区

2018年(平成30年)10月21日(日)  
 
ANAの上級資格を取るべく思い立ったマイル修行の一環で、長崎へ1泊2日で来ています。
前回記事はこちら。
長崎旅行2日目、遠藤周作「沈黙」の舞台をめぐるツアーに参加中です。
黒崎地区の次に訪れたのは出津地区 (しつちく)で、ここから世界遺産の構成資産です。
 
先の黒崎教会のときにド・ロ神父が登場しています。このド・ロ神父さまは1879年外海地方の主任司祭として赴任してきた宣教師です。フランスの貴族の生まれだそうですが、フランス革命で貴族が迫害されたため、生きていく術を身につけさせるべく教育を、ご両親が施されたそうです。着任に当たっては2億円もの財産を分け与えられ、それら私財を多くの施設建設や事業のために惜しみなく投じました。
そのひとつがこの出津教会。1882年にド・ロ神父の設計施工で建てられました。

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海岸に面した風の強い立地条件を配慮して、屋根は瓦葺でとても低い造りです。内部は木造で漆喰塗りの平天井は、とても質素なものでした。
 
この見学のあと、このツアーはふたつに分かれました。池島へ渡って炭鉱体験をするコースで、そちらのには炭鉱弁当がついていました。最後にまた合流するようです。 
 
このまま「沈黙」の舞台をめぐる私たちは、ここで過ごします。
この地区を歩いてみると、本当に小さな村であることがわかります。急斜面が多く平坦な土地が少ないこの地区は、困窮を極めていたに違いありません。

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ド・ロ神父は、フランスで身につけた農業・印刷・医療・土木・建築・工業・養蚕業などの広範な分野に渡る技術を外海の人々に教えました。それらがド・ロ神父記念館に展示されています。

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この建物は1885年ド・ロ神父がいわし網工場として設計、施工したものです。今はその上に床を張っていますが、この両端に座って網を綯っていたそうです。

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医療の道具も揃っていました。

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この人体模型などすごいですよね。

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足袋の型もありました。

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編み物も教えられたそうです。

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土木建築の道具

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オルガン

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なんと幅広くの知識がおありだったのでしょう。深い人類愛とすばらしいフロンティア精神をもって外海の人々のために生涯を捧げ、フランスへ帰ることはありませんでした。
 
地域の貧困者や海難事故で未亡人となった女性を進んで雇い、西洋式の機織や日本初のマカロニ製造工場でもあるそうめん工場を造り、人々の宗教的指導者であるとともに地域の経済的発展にも貢献しています。それがこの出津救助院です。

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地震を知らなかったド・ロ神父の設計は、倒壊の恐れありとのことで、内部は鉄骨で補強がしてありましたが、そうめん製造の跡が残り床下には醤油を寝かせる甕が置いてありました。 
  
やがてここは修道院として発展していきますが、生活の術を教えるだけではなく、教育に力を入れていたそうです。2階では数10名の子どもたちが寝起きしていました。
2階に置かれていたオルガンと時計の説明を受けました。このオルガンは優れもので、ひとつの音を出すと和音になる機能がついていました。1本の指で弾いても、伴奏がつくようにという初心者のための仕組みです。
鍵盤を持ち上げて移動させると、同じ鍵盤のままに移調する仕組みもありました。歌わせて音が高かったり低かったりしたとき位置を変えるだけで移調するので、オルガンを弾く技術が低くても大丈夫です。

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また、時計には15分毎に音が鳴る仕組みがあります。作業をしながらも15分毎に鳴る音で、神様を感じる訓練なんだそうです。 

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こうして、ド・ロ神父は、手に入るものは最高のものをという考えのもと、多くのものを持ち込んだそうです。 
 
ランチはどこで食べるのかと思っていたら、隣の元マカロニ工場に案内されました。地元の方たちの手料理がふるまわれます。 
魚は鯵でしたが、洋風の味付けでとても美味しかったです。ド・ロ神父の伝えたマカロニもいただきました。

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パンは絶品。小麦粉と塩だけで作っているそうですが、なんと甘く柔らかいことか。残ったものは持って帰ってくださいということで、ツアーの人たちと分けましたが、本当に美味しかったです。

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ここでは、小学生の団体が先にパン作りを体験していました。
オルガンの説明などは一緒に受けたのですが、ものすごくかわいくて素直。私たちの後に食事に来ましたが、食事の前にお祈りを捧げていました。近くのクリスチャンの学校からの社会見学のようでしたが、ここにはごく普通に溶け込んでいました。
  
食事の後は、各自、外海歴史民俗資料館へ。

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2階には宗教関係の展示物がありましたが、撮影は禁止でした。オラショの聴けるコーナーや、外海のキリシタンの歴史のビデオが流れていました。
特に、潜伏キリシタンたちが持っていた聖人像やロザリオには胸を打たれました。これらが見つかれば生きてはいけないのに、どんな想いで持っていたのか。 
 
すぐそこは、海です。貧しい漁港だったことは、今でもわかるような小さな港です。

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そこを見下ろす場所に遠藤周作の「沈黙の碑」がありました。

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人間がこんなに哀しいのに
主よ
 海があまりに碧いのです
 
今日ほどの天気はめったにないというほど遠くまで見渡せる青い海を前に、胸がいっぱいになりました。
 
次回の記事はこちら。