2019年(令和元年)8月11日(日)
勝手に独立宣言しちゃったウジュピス共和国を抜けると、教会が見えてきました。
ヴィリニュスは教会がひしめき合っていると言っていいところなのですが、その中でも必見がこの赤い煉瓦が印象的な建物です。
ここから見るとわかりやすいのですが、この教会は前後にふたつ並んで立っています。前が聖アンナ教会、後ろがベルナルディン教会です。
特に重要なのが左側に見える聖アンナ教会で、1495~1500年に33種類の異なる形の赤煉瓦を積み上げて建てられ、ゴシック建築の最高傑作と評されています。しかもこの戦火に見舞われることの多かったヴィリニュスで一度も破壊されることなく、完成当時のままの姿を今に残している貴重な建築物なのです。
ベルナルディン教会の前まで行ってから、振り返って聖アンナ教会を撮ってみました。本当に赤レンガが美しい。1812年ロシア遠征の途中ヴィリニュスに入城したナポレオン1世が「手のひらに載せて、パリにそのまま持ち帰りたい」と語ったそうです。
右奥の聖ベルナルディン教会は、1516年に完成したやはりゴシック様式の教会で、その後17~18世紀にかけてルネッサンス様式やバロック様式の影響を受けながら現在の姿になりました。16世紀の再建のときには一部が城壁に組み込まれて建てられたので、壁には銃眼も設けられています。

木彫りの彫刻が目を引く中は、古風な雰囲気です。
右側に司祭から開設を受けている人たちがいるのが見えるでしょうか。
向かって左側の壁をずっと見ていたので気になって撮っておいたのですが、16世紀に描かれたフレスコ画が残っており、その解説を受けていたようでした。
両側にフレスコ画は残っていたのですが、オリジナルのもの、もしくは状態のよいものが先の1面だったのかもしれません。
荒廃と再建を繰り返したこの教会は、ポーランド軍の兵舎やソ連の芸術アカデミーとしても使われたのち、ようやく1994年に教会としての再建を果たしています。そんな歴史を経てなお残っているフレスコ画は、より貴重ですね。
聖アンナ教会はミサが行われていたので中に入らずに引き返しましたが、教会の多いヴィリニュスにおいてもこの赤煉瓦の教会はひときわ目を引きました。

私たちはウジュピス共和国から回ったので、ベルナルディン教会に先に入りましたが、ふつうはこの正面から到着し、聖アンナ教会に入って、隣の小さな門は見過ごすことも多いのだそうです。どちらもぜひ、お見逃しなきよう。
こちらは市庁舎広場近くの聖カジミエル教会です。前日にロシア正教会に入りましたが、そのすぐ近くにありました。サーモンピンクの外観には丸みを帯びた塔があり、ロシア正教会を思わせますが、その時代に改修されたものかもしれません。
1618年に完成したヴィリニュスで最も古い最初のバロック様式建築で、建物上部の王冠が目印なんですけど、そのことをちっとも知らなかったので撮れてない(涙
こういうとき、もしやと思って相棒の画像を確認すると、ありましたね~ 黒い王冠がちらりと見えるでしょう?肝心なものを外してしまう私と、予期せず掴む相棒、だいたいいつもそういう図式です。
何度も参加に晒されたうえ、ロシア正教会だけでなく、プロテスタントや博物館、穀物庫としても利用された受難の教会でした。
イエズス会の教会として復帰できたのは、こちらも1991年の独立後のこと。だからまだまだ新しく見えるんですね。
夜明けの門の近くには聖テレサ教会。
1633年から1650年にかけて建造されたバロック様式の教会です。この時代の教会は煉瓦造りが多かったのですが、花崗岩と大理石などで建造された豪華な教会です。
内部の豪華さには驚かされました。規模は大きくないのですが、このゴージャスさには目を見張ります。リトアニア大公国の副首相だったステーポナス・パツァスの保護と寄付を受けての建造だったといいますから、その財の潤沢さと信仰の厚さに驚かされます。
ちょうどミサが終わるころに通りましたが、日曜日だったのでどこの教会でもミサが行われており、いずれも多くの信者が礼拝に訪れているようでした。これでもほんの一部でしかないヴィリニュスの教会、いったいどう自分のままの置き場を決めるんだろうと素朴な疑問を持ちました。もう、生まれながらのものなんでしょうか?
教会を見ても、中のことを覚えているのはごくわずか。建築史にも美術史にも、ましてや世界史にも明るくないので、特に何を知れるわけでもありません。でも、たいていの場合は無料で中に入れるとあって、見学することが多い教会です。
しかもバルト三国はどこも教会が多かったのですが、タリンでロシア正教会であるアレクサンドル・ネフスキー大聖堂に入った以外はどこも見なかったので、なぜかヴィリニュスでは通るたびに覗いてしまいました。
その他の旧市街は次に続けます。