モザイク画を見にラベンナへ来ています。
最初に入ったのがサン・ヴィターレ聖堂。殉教者聖ヴィターレに捧げられた聖堂で、6世紀前半に完成しています。ビザンチン美術は東方的な要素を多く含んでいるのが特徴ですが、ここと同じモザイク技法を用いた内部を持っているのが、当時地中海を治めていたビザンチン帝国(=東ローマ帝国)のユスティニアヌス帝の命よって建設されたトルコ・イスタンブールのアヤソフィアです。
お・お・・・おお?!なんかここ、すごいんじゃないかしら。
正面のドームに、びっちりモザイク画が見えます。緑が美しい。中央のキリストはまだ若く髭がありません。足元には花が咲き、川が流れ、頭上には虹の雲が描かれているため、楽園を表現していると言われています。
その左下の側面の画は、ユスティニアヌス帝と随臣。ユスティニアヌス帝は、ビザンチン帝国をもっとも発展させたと言れる古代末期の重要人物です。
右側のモザイク画は、旧約聖書に出てくるメルキゼディクがパンを、アベルが子羊を捧げている場面です。
左側のモザイク画の真ん中は、アブラハムの饗応。信仰心の厚いアブラハムが旅人をもてなしているところなのですが、右端に神を掴まれた少年が見えます。彼はイサクとい、アブラハムが不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子なのですが、アブラハムはイサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられます。
ああ!まさに焼かれようとしているイサク。この場面はイサクの燔祭(はんさい)と呼ばれ、アブラハムに与えられた試練です。結局、まさにそのときという瞬間にイサクは神の使いによって救われるのですが、この試練を乗り越えたアブラハムは模範的な信仰者として讃えられています。で、でも、そんなんアリ?
床のモザイクも美しい。ロープを張った場所があったので、そこはオリジナルのものなのでしょう。
真ん中のドームを囲むようにドームがありますが、この絵はおそらく何度か改修された後のものでしょう。
外へ出ると、こんなに質素な建物なのです。この中にあれだけのモザイク画が描かれているとは、かなり感動。
同じ敷地内の小さな建物に移動します。
ガッラ・プラキディア廟堂。5世紀に建設された末期ローマ時代の霊廟です。ガッラ・プラキディアはローマ皇帝テオドシウス1世とその後妻ガッラの娘で、西ゴート王アタウルフの妃、のち西ローマ皇帝コンスタンティウス3世の皇后だそうですが ・・・ちんぷんかんぷん。ただ、兄ホノリウス皇帝とともにラベンナの基礎をつくったと言われている人物です。
こちらも素朴な建物なので、そう期待せずに中に入ったら・・・
そう!これ!このブルーに魅かれてラベンナに行ってみたいと思ったんだった!
アカンサスの葉に包まれ泉の水を飲む鹿。
十字架を持つキリストと羊の群れ。
こちらは、スペイン・サラゴサの聖人ウィンケンティウス。
284年ローマ帝国に即位したディオクレティアヌスは、自らを神として崇拝することを強要した専制君主制に切り替えた人物で、キリスト教を迫害したことで知られています。
ここの描かれているウィンケンティウスは、その迫害を受けたひとり。棄教を条件に釈放を約束されたのですが、言語障害のある司教に代わってそれを峻拒したところ、拷問にあいます。これはそのうちの鉄網で焼かれるところが描かれています。(鉄網で焼かれた殉教者に同じくスペインのラウレンティスがおり、こちらが通説でしたが、近年の研究ではウィンケンティウスとされています。)
その上にいるのは、2組の聖人像。
天井を見上げて撮ったのがこれ。4方すべてに2組の聖人が描かれています。
いろんな角度から撮ったものを見比べていくと、どれも同じシーン。
ただ、この面だけ左の聖人のポーズが違うんですよね。でも、聖人が誰かはどれも分かっていないそうです。
失敗したなぁと思うのが、狭いこの空間にあまりに人が多いので上ばかり撮っていましたが、その人混みや全体の雰囲気も取っておけばよかったなぁということ。きれいな写真なら公式HPから見ればいいんですもんね。
3つの石棺が安置されていましたが、ガッラ・プラキディア自身のものはここになく彼女の親族のものとされています。
続いて、ネオニアーノ洗礼堂を目指します。世界遺産オンラインによると、バシリカ・ウルシアーナの付属洗礼堂として5世紀末に建設されており、建設当初はローマ人の浴場として使用され、のちに洗礼堂へと改築されたと言われています。
確かに八角形の建物の中に入ると、真ん中に大理石の同じく八角形のバスタブ然としたものがありました。ここでも人が写り込むのを避けるために上ばかり撮っていましたが、全体を写しておけばよかったです。
天井には洗礼を受けるキリストとそれを囲んで12人の使徒が描かれています。その使徒それぞれの表情は、なかなか豊かです。さらに外周の玉座や福音書なども繊細で美しい。
下部の装飾を見ても金遣いが多く、非常に豪華で色鮮やかなので、見飽きることがありません。
ビザンチン美術では、写実性がないのが特徴と言われていますが、着物の質感などモザイク画でも充分表せていますよね。
このあたりは間近に見える高さだったので、座ってゆっくり鑑賞している人たちもいました。オフシーズンなので並ばずに入っていますが、きっとここも列をなすんでしょうね。
隣には大司教博物館がありました。展示物についてはほとんどわかりませんでした。
おそらく司祭の装束。
建築物の一部
装飾品等
でもおそらくここでの見どころはこれ。モザイク画の一部です。
モザイク画といえばイコン(聖像)ですが、ビザンチン美術はこの時期やほかの時代に描くテーマが宗教だけでなく、日常生活・風景・生物等の幅広いテーマを扱うことがあったのに対し、宗教画のみを対象にしていました。
それらは、ほぼ同じ顔立ち、同じポーズ、表現の仕方も一様であることがポイントですが、それでも間近で見るモザイク画は思いの外、表情も豊かに見えます。
ほら、この左側なんて明らかに笑っていますよね。
この傍の教会にも入れたようですが、まったく気づいていませんでした。なんといっても時刻はすでに13時近くになっており、ランチに気が向いていたのです。
最後の1ヶ所の場所を確認したあとランチにするのですが、先にサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂にいっちゃいましょう。
ここへ来てわかったのですが、このチケット売り場には誰も並んでいませんでした。なーんだ。駅から一番近い共通券での見学場所はここなので、是非ここを一番に目指してください。シーズンや時間帯にもよるかしれませんが、おそらく私が行ったところよりも空いていると思います。
いったんお土産物屋さんに入り、中庭へ出て左側に入口があります。
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂は、490年ごろ東ゴート王国大王テオドリックによって大宮殿に隣接するかたちで建設された、キリスト教では異端となるアリウス派バシリカです。
540年、東ローマ帝国に編入されたときにアリウス派を、異教徒と戦った聖人マルティヌスの聖堂として奉献しなおしたということでヌオヴォと付け足されたようです。
こちら側は、ずらりと聖女の行進のモザイク画。
上記画像の右側に続くのがこちら東方三賢人。キリストが生まれたときにその場に現れ、祝福をしたとされる3人の博士です。スクロヴェーニ礼拝堂にも描かれていた場面です。なるほど、宗教画の面白さというのはこういうところにあるんですね。
左側にの端には海がちらりと見えていますが、港町だったラベンナの光景です。
反対側には聖人の行進。聖女の行進のようにもっとずらりと右の端のほうまで並んでいます。
この格子天井は17世紀に取り付けられたもので、もともとは木造の小屋組が露出していたようです。
ラベンナの世界遺産建築は、共通券での見学で終えましたが、ネオニアーノ洗礼堂にあったキリストの洗礼のシーンは近くのアリアーニ洗礼堂にもあり、見比べるのも興味深いとか。
サンマリノ共和国は断念することになってしまいましたが、きっとそれに余りある素晴らしい経験をここでできたと思います。美術にはまったく不案内ですが、5~6世紀のものとは思えない色鮮やかさ、表情の豊かさなど、圧倒的な存在感でした。
このビザンチン美術を一掃するきっかけとなったのが、先に見たスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画を描いたジョット。
どちらも帰国後ブログをアップする際に知ったことのほうが多いのですが、ざっくりとした知識でも調べたことでさらにいい思い出となりました。
共通券の公式HPによると、どうやら今年に入って入場料が値上がりして10.5EURになっているようですが、それでも見応え充分なのでおススメです。
ただ、3/1~6/15については、ガッラ・プラキディア廟堂の入場になぜかさらに2EUR支払う必要があるようなので注意です。