英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【クロアチア】5日目-4 古代ローマの栄華を残す町プーラ

 

イストラ半島は、アドリア海を挟んでイタリアと近いだけあって、東ローマ帝国ベネチア帝国の一部だった時代が長く、イタリアの古代ローマ時代に造られた建築物か数多く残っていることで有名です。

ロヴィニに比べ観光地として回るだけの史跡があるので、楽しみです。

 

arriva社のバスは15分ほど前に到着しました。プーラのあと、行きたかったトリュフの町モトブンの最寄りとなるパジンを経由してザグレブへ行くバスです。

定刻に出発しましたが、数10m走ったところで手を振って懸命にバスを停めるカップルがいました。おお~ 間に合ってよかったね~

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乗車時間は40分弱。やはりここも地道を走ります。翌朝、リエカへ移動するのですが、またここを通るんですよね。これならプーラで泊まっておけばよかったかも?

市街地に入って大通りを曲がったところにバスターミナルがありました。ここからどうやって中心部へ行くのか、ちょっと不安になるような場所です。バスターミナル自体は大きく、バスの本数もまぁまぁあるような雰囲気。でもこの日はなんといっても元日なので減便です。

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バスターミナルを出たものの、旧市街までの地図はいい加減なグーグルマップをプリントアウトした1枚のみ。プーラの円形闘技場があるのは分かっていましたが、元日は休業日なので見られません。徒歩15分余りのプーラ城塞を目指すつもりでいました。

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車道の脇を歩いていると、なんとも不安。15時半を過ぎたプーラは既に夕方の様相です。あと1時間もすれば日没。

と、そこへ!いきなり現れましたよ、円形闘技場(競技場と書かれているものもあります)!!!

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確かに中に入ることはできませんが、がら空きじゃないですか!周辺の階段を上がってみると、中もしっかり見えます。おお~ 客席も再現されているんですね~

楕円形の子の闘技場は長辺が約133m、短辺約105mととても大きく、世界で6番目の規模と言われています。ローマの円形闘技場の約半分だって。ローマのはそんなに大きかったのかぁ・・・

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ぐるっと外周を回りながら、いちいち中を覗きます。ここもラベンナと同じくコンサート会場にも使うようですが、チケットがなくてもいいんじゃないん?(笑

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向こうには海が透けて見えます。円形闘技場のすぐ向こうは海です。湾の縁にプーラの旧市街がある感じ。

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ぐるりと半周ほど回って円形闘技場は終わり。相棒は、ここの闘技場が一番気に入ったと言っていました。良かった、こんなに遅い時間に連れ出しちゃったけど。

ここの石は教会や

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次はプーラ城塞へ上がる予定でしたが、いい加減な地図ではどこを歩いているのかさっぱりわかりません。ツアー客がたむろしていた門があったのですが、ヘラクレスの門だったみたい。取り敢えず撮っておけばよかったんですけど、何が見どころかわかんないからね~

こちらも突然現れたセルギウスの凱旋門です。黄金の門とも呼ばれるこの門は、古代ローマ時代にプーラの有力者だったセルギウス家によって建てられました。コリント様式という建築手法が特徴的で、装飾や石の朽ちた様子が古代ローマ時代を彷彿させます。

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この先から旧市街になっていて、観光客で賑わうエリアのようですが、元日のこの日はお店も閉まっており人出もとても少なかったです。プーラに泊まってザダルへ飛ぶ計画を立てたこともあったのですが、ここに泊まらなかったのは正解だったと思います。

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適当にとこからでもプーラ城塞へは上がれそうでしたが、この時間から間違った道へ案内するわけにはいかない・・・と思っていたら、表示が出ていました。きっとここから上がれるのでしょう。

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プーラ城塞はイストラ歴史博物館となっていて、プーラやクロアチアの歴史を学ぶことができます。円筒形の見張り台からは円形闘技場や旧市街の街並みが360度見渡せるので入りたかったのですが、日没は16時半、あと30分もしないうちに暮れてしまうというこの時間からゆっくりするわけにはいきません。

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大砲などが置かれている城壁の周囲をぐるっと回れそうだったので、1周してみることにしました。

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お濠を巡らせた質素なプーラ城の跡は、地元の人たちの散歩コースでもあるようでした。

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ぐるっと回って見張り台の後ろ側あたりまで回ると、プーラ市街がよく見渡せました。

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プーラ旧市街の傍にある湾が見えます。

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右に目をやると円形闘技場が見えます。相棒は、屋根の色に溶け込んでしまっている闘技場が見つけられないと言っていましたが、わかりますよね?

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もう少しアップにしてみると、こんなふうに闘技場が見えました。プーラ城塞からの眺めは素晴らしいです。

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旧市街へ下りて行って、あといくつかあるはずの見どころを探します。こちらがアウグストゥス神殿。紀元2~14年にかけて初代ローマ皇帝アウグストゥスのために建てられたもので、この右隣には市役所が建っているのですが目もくれていませんでした。

ここの広場だけがかろうじて人がいて、傍のカフェも賑わっていました。そう、ここのカフェは開いていたんです。

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ほとんど人の通らない旧市街をさらに歩きます。

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プーラ大聖堂へやってきました。4~5世紀ごろに建てられ、10世紀に増築されましたが、ジェノバベネチアの侵攻を受けて破壊され、15世紀に再建されています。ロマネスク、ビザンチンルネサンス様式が見られるそうですが、うむ、この建築史・美術史がもう少しわかると、見学も楽しくなりそうだなぁ・・・

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きっと、普段ならもっとプーラの町も賑わっているのでしょう。でも、元日はほぼすべてのお店が閉まっていました。ひっそりとした中を、ちらほら観光客が歩いてるだけのこの日。

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この標識を見るとやはりどこからでもプーラ城塞へは上がれるようでした。見落としたのは3世紀ごろに作成されたディルケーの成敗の床モザイクと呼ばれるモザイク画でしたが、相棒は気づいていたんだそうです。見どころを伝えていればよかったな~

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それでも、15時にロヴィニを出発して、プーラに到着後1時間、日没までにざっくりとプーラ旧市街の観光を終えることができました。

あとバスの時間まで1時間余り。どこかでお茶でもしよっか?かといって、バス停までは15分ほど離れているのでさっきのアウグストゥス神殿のあったフォーラム広場まで戻るのもナンだし・・・どこかはきっと開いているでしょう。

日没直後の円形闘技場に戻ってきました。車通りも少なく観光客も少なく、ほとんどひとり占めで見られます。

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入場する場合はここが出入り口っぽい。

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なんでも、第二次世界大戦時のイタリア・ファシスト政権下では、保存状態のよいこの円形闘技場をイタリア本土へ移送する案が出されたそうです。(輸送コストがかさむため断念)

ローマ帝国ベネチア共和国、ハプスブルク家と様々な国に支配されてきたイストラ半島は、第二次世界大戦後にユーゴスラビアに統合されるまでは、クロアチアというよりむしろイタリアだったんですね。戦後処理でイタリアの碑文や象徴といった文化的遺産をほぼ完全にプーラの記念物から取り除いたのですが、その間にイタリア人はイストラ半島を脱出していきました。

でもこうして、古代ローマからの遺跡がクロアチアとなった今も残っているとは、すごいことですね。

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バスターミナルのほうへカフェがないかどうか見ながら戻ってきました。この近く、そしてバスターミナルの傍にも見つけられましたが、中がもうもうとタバコの煙。とてもじゃないけど座っていられませんでした。

分煙なんて何の意味もないと思っていましたが、街中でも歩きタバコが許されているイタリア、クロアチアと回っていると、日本の禁煙化は着実に進んでいるのだなぁと実感です。

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仕方なしに、バスターミナルで1時間過ごしました。帰りの座席を予約しようと思ったら、予約料が別途3HRK(85円)必要なんだって。往復割引はあったのかなぁ。なかったなら、先に買っておくことなかったよね。

バスターミナルは手荷物預かり所がありました。元日でも開いていたのでその点では安心です。

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定刻にバスは到着しました。18時には他社便が出ていたようだったので、こんなに空いている時期なら予約不要で観光を終え次第、帰るという手もあったかもしれません。

でも、プーラ、やってきて大正解でした。ロヴィニの少し北にあるポレチュも歴史ある町ですが、こちらは元日はバスが運休でした。ロヴィニは観光施設がないので、ちょっと足を延ばすとより充実したイストラ半島の滞在になると思います。