2021年(令和3年)6月
都内の飲食店はまだアルコールの提供が許されていません。自粛生活も長引き、そろそろストレスも限界。むやみに動くのではなく、近場でお酒も飲めるところへちょっと足を延ばそう、そんな計画を立てて伊豆下田へ再訪しています。
前回記事はこちら。
伊豆下田駅へ到着しました。
あじさい祭を目指すにも観光客は皆無で、人の流れについていくようなことはできません。道は碁盤の目でわかりやすいので、ひたすら南下すれば到着できるでしょう。
京都のマクドナルドは神社仏閣と色が被るから、店舗はマクドナルドの象徴色である赤を使わずに茶色ですが、こちらは黒船色らしい。
大通りに面して、道中はずらりと神社仏閣が並んでいます。宗派も様々。
まずは浄土宗の海善寺。
こちらは、1854年日米和親交渉にあたり日本全権の本陣となり、下田奉行所が置かれた宝福寺。それより以前、滞在中の山内容堂に勝海舟が謁見し、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞い、許された寺としても知られています。
八幡神社の参道入口には神橋が架かり、見事な枝ぶりの迎神の松が横たわっていました。
隣は市民文化会館で、第50階黒船祭を記念して送られた錨とカノン砲があります。
そしてこちらが、ペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所となった了仙寺。
Mobs黒船ミュージアムが併設されており、黒船来航や幕末の異文化交流に関する膨大な資料約3,000点が所蔵されています。教科書やテレビで見る黒船やペリーの絵、開国に関する画像資料は、ほとんどがここから提供されているそうです。(入館料 大人500円)
下田の町の案内図です。充分な時間が確保できるかどうかわからなかったので、まずはあじさい祭を見に行くことにしましょう。
ここからはペリーロードへと入っていきます。
右手は私が歩いた道。左手が了仙寺の境内からまわった道です。断然雰囲気の良いのは了仙寺からの道ですね。帰りに時間があればまた寄りましょう。
おそらく、いつもなら観光客で賑わっているだろうペリーロード。お店もほとんどが閉まっており、あじさい祭でもひっそりとしています。
すれ違ったのは数組の観光客のみ。お店を開けても、これでは商売にはならないでしょう。
なまこ壁の建物が有名ですが、ここも何かのお店なのだろうと思います。
こちらも扉が重く閉ざされていましたが、この佇まいはふつうのお宅ではないはず。落ち着いて観光できるのはいいですが、現地の人は大変だろうと思います。
ハイビスカスがこれだけ育っているのは温暖な気候のためでしょう。この喫茶店も閉まっていました。
水門の向こうの山の中腹に、あじさいが見えます。おお、あじさい祭はここだ!
ペリーロードの終着点に立つのは、大正7年に建築された旧澤村邸です。なまこ壁と伊豆石造りの建築様式を用いており、今は無料休憩所として使われています。
旧澤村邸の脇から下田公園への階段がありました。
少し上がると出迎えてくれたのが、商業写真の開祖である下岡蓮杖の碑です。もともと画家を志して江戸へ修行に出た蓮杖は、あるとき江戸の薩摩藩下屋敷にて初めて銀板写真を見てその精巧さに感激し、写真術の習得を志したそうです。
あじさいの群生地に足を踏み入れました。少し時機を逸していたようですね。すでに満開を過ぎ、色褪せてきています。
途中、係の人と話しているのを聞いたところによると、1週間前がピークだったようで、人出もこの日よりは多かったと話していました。例年より早い満開だったそうです。
去年は開催されなかったあじさい祭。地元の人にとっては人出が少ないのは痛いに違いないでしょうが、例年のことを知らない私たちにとってはゆったりと見て回ることができました。
右手に見えるのが、前回ロープウェイで上った寝姿山です。
印象的な姿の山は下田富士。静岡県のHPには全国ふるさと富士が掲載されていますが、その中でもひときわ低い標高は、わずかに191m。
下田公園にあるあじさいは15万株300万輪。カシワバアジサイ、ウズアジサイ、アナベルなど100種類以上植えられています。
順路はいくつもあり、こうした歩きやすい広い道もあるので、気軽に訪れることができる公園だと思います。
分岐点に「展望台」と書かれていたので行ってみました。地図ではこの先がどうなっているのか少しわかりにくいのですが、どこかへ抜けられるかと思ったのです。
その馬場ヶ崎展望台からの眺望がこちら。曇天だったためもあるかと思いますが、湾内しか見られないのか、という場所。しかも行き止まりだったので、また戻るしかなかったというオチつき。ただ、曇天だったおかげで暑さはそう気になりませんでした。
緩やかに下っていくと、開国記念碑のある広場へ出てきました。広場ではあじさいの販売など、お祭りらしいお店が規模を縮小して出されていました。
開国記念碑は、昭和28年に下田開港百年を記念し建立され、中央に内閣総理大臣吉田茂筆「開国記念碑」と誌され、左右にペリーとハリスの言葉とレリーフが配されています。
下田公園のバス停は広場の下にあり、あじさい祭の期間中は1時間に1本ほど出ています。私が通ったときもちょうど到着時刻でした。でも、ここで乗って下田駅へ戻ってしまっては、またもや失敗してしまいます。
ペリー総督がやってきたのなら、下田港があるはず。
むむ?5分ほど先へ行くと離島行きの船乗り場がありましたが、これ?
水曜日を除き1日1便。16:30に入港し、翌9:30に出帆。1日ごとに下田→神津島→式根島→新島→利島→下田とその逆回りの航路となっています。
16:30入港だったらもうすぐなんだけどな。でも、建物の中に人はいるようでしたが、それ以外に乗客の気配はまったくありませんでした。
海上保安庁の巡視艇いずなみが係留されています。
防波堤の向こうに、かすかに船の姿が認められました。30分もあれば港に到着するんでしょうか。右手に岩室神社のある雁島(かねしま)が見えますが、その左にうっすらと影のように見えるのが、おそらくあぜりあ号です。
下田湾の真ん中に鎮座する犬走島への防波堤があって、釣り人が多く竿を垂れていました。島まで渡りたかったのですが、入口に立入禁止と書かれてあったので(でも、通れるように開けてある)、観光客が堂々と歩いて行っていいのか躊躇して、先へは進めませんでした。湾のど真ん中に立ってみたかったんだけどな。
駅へ戻る道すがら、ペリー上陸の碑に遭遇しました。これ!これが見たかったんです。なんてことないことかもしれませんが、やっぱり下田と言えばペリー提督ですもんね。やっと、下田を観光したと言っていい気がします。
後ろに船が見えます。沖に見えていたあぜりあ号がこの10分ほどで入港してきたのかもしれません。
1853年に浦賀に黒船でやってきて開国を迫ったペリー提督。翌1864年6月17日下田条約を締結するために寄港したときの船の様子が描かれています。
日本が開放したのは箱館港と下田港ですが、今でも不便なこの地でアメリカが望む補給基地港としては不向きだったのでしょう。5年でその役目を神奈川港などに譲り、下田港は開港を解かれています。
結局、違う道を歩いたために了仙寺へも寄れませんでした。そしてまた、2度行っても行きそびれたのが道の駅開国下田みなと。下田港へ寄っているよりも、歴史ミュージアムや地産品を扱っているこちらへ足を運ぶべきだったと思います。観光船の乗船もこちらからのようだったし。でも、ペリー提督が見られたから、それでいいのだ。
歴史好きならば、ゆかりのお寺やミュージアムを目当てにここへ来ることでしょう。でも、そもそもそこらあたりも残念な知識の私、ましてやコロナ禍もあって施設観光はつい避けてしまいます。翌日は雨の予報ですが、もし晴れていたらもう少し回ることもできるでしょう。
ちなみに、英会話の講師と話していたら、下田旅行を計画中だそうで何が有名かと聞かれました。開港の話をしたのですが、オーストラリア人だとペリー総督も含めまったく知らないのね。
そうか。開港の町だと知っているだけでも、外国人とは違う知識をすでに持っていることになるのだと実感。何も知らずに下田へ行けば、なんでこんなところが観光地なのかと驚くような静かな町ですもんね。
次回はもう少し知識を仕入れてから訪れよう。本当なら行きたい隧道などもあるんだよな。
次回記事はこちら。