2021年(令和3年)10月
緊急事態宣言が解除されました。ANAマイレージが余っているので、活用中。今回は、英語講師に勧められたアートの島を巡る旅を計画しました。当初、オリンピック時の3連休を利用する予定でしたが、たぶん暑くてバテるだろうと秋まで待っての出発でした。
前回はベネッセミュージアムをご紹介しました。
李禹煥美術館へ移動します。李禹煥はリ・ウーファンと読みます。韓国生まれで日本に拠点を移し活動しています。
道路から階段を下りていくと、なにやらわからない現代アートが転がっているのが見えます。
わ、わからない。
安藤忠雄のコンクリート造りの建物と李禹煥のコラボだそうですが、私にも何か感じるものはあるんでしょうか。
通路の壁にあるこんなものも、きっとしっかりした意味があるのでしょうけど・・・
屋内は写真不可でした。なんかね、点とか線とかそういった世界。それぞれ感じることを感じればいいと言われたけど、わかる人ってどう感じるんだろう。ただ、屋外作品の解説を聞きながら、私なりにちょっと感じたことがあります。
向こうに見えるアーチは門で、海から迎え入れるイメージで作られています。
そう思って近づいていくと、なるほどそうだな、と思います。敷かれているのは金属物で、手を叩きながら歩いて行くと門の下では音が変わります。ツアー参加者にヒールを履いた人がいたのですが、その人が歩くと手を叩かなくても音が変わって不思議な世界観を感じます。
実際に迎え入れられたと思って門から中を見ると、それぞれのアートに意味があるような気がしてくるのがまた不思議です。この道を歩けば門の下で音が変わる。それはきっと歓迎の意味を為すと感じるだろうし、出迎えてくれるアートもまたその目を楽しませてくれるのでしょう。
角度を変えてみれば、美術館に足を踏み入れたときとまた違う表情が見えます。コンクリートだけの美術館の印象が、自然と融合したものにも感じられる。
近づいてみれば、美術館の建物は壁の向こうで存在感を消しているし、ひとつの作品の一部ともなっています。
こちらのアートは石の上に誰かが寝そべっているようにも見え、呑気に海を眺めている気分にもなれます。ふーん。なんだかわかないけど、ちょっと楽しいかもしれない。
そんな気持ちで向かったのが、最後の地中美術館。ここは、チケットセンターから美術館までちょっと距離があります。
地中美術館にはクロード・モネの睡蓮が展示されているのですが、そのモネの世界観を表すために、道中にその作品をイメージした地中の庭があるのです。後年に描かれた睡蓮は、もはや睡蓮そのものではなく水面に映った水の揺らめきを描いていたそう。それを感じるための小径です。
5分ほど歩いて地中美術館の建物にやって来ました。
中の撮影は禁止です。作品はクロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの3作品のみ。
こちらももちろん安藤建築の神髄であるコンクリート造り。長い廊下を通っていきます。
暗い廊下を通ってきて、もう美術館に入っているつもりでいるのに、ぽんとまた屋外に放り出される。晴れていればそれそれでその外の明るさか妙な感じがするし、雨や風だと一層戸惑う。そんなふうに感覚が変わることが安藤建築の考えていることなんでしょうか。
しかも、階段を上がっていくと見える緑。無機質なコンクリートに突如と現れる緑には、逆になんとなく落ち着かない気分にさせられました。
睡蓮は、この距離から見るのがベストという位置があるという話を聞きました。コンクリートの部屋の入口から離れ、その入り口の枠を額縁に見立てるかのように見るのです。
跡のふたつの作品のうちのひとつは、家プロジェクトで経験した南寺の暗闇アートを作ったジェームズ・タレルのもので、こちらは青い空間の中に入って行くと、光の中にいるのに立っている足元には自分の影すら映ることがなく、まるで空か海かの上に取り残されたように感じさせられる作品でした。無限に広がる青い世界が永遠に続くような錯覚に陥る、そんなまた違った光のアート。そうか、やっぱりアートなのか。
暗闇でも、光の中でも、自分の存在がおぼつかないもののように感じるのはタレル作品の共通の印象で、あれは是非経験してみてほしいと思います。
1日かけて回った直島のアートツアーも終わり。ベネッセハウスで宿泊です。