英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【奈良】古都を巡る旅 興福寺からお水取りで有名な二月堂へ

2021年(令和3年)11月13日(土)

 

マイルを利用した旅を重ねていましたが、来期のステータスにまつわる誤解で、有償で乗らねば!と計画したのがこの旅行。正倉院展を目的に奈良へやって来ています。

前回は大失敗のランチの話を書きました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

美味しくないものを食べてもお腹いっぱいになるのは、なんとも残念。腹ごなしに歩きましょう。まずは興福寺北円堂からスタートです。

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日本に現存する八角堂の中でももっとも美しいと称賛されているこの北円堂は、1210年に再建されたもので国宝に指定されています。もとは721年8月平城京を見渡せる位置に、興福寺を創建した藤原不比等の霊を慰めるために建てられました。

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一方、こちらの南円堂は4度目の再建のもので、囲いがないため参拝者が多く訪れていました。西国三十三所の第九番札所です。

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続く中金堂は本尊の釈迦如来を安置するため、興福寺の中心的な堂として平城京遷都の710年直後から造営されたと言われています。たびたび焼失と再建を繰り返し、一世紀以上も放置されていたこともあったようですが、その後の再建では長年の使用に不向きな木材も使用されていたため老朽化が著しく、2000年に解体。2018年に創建当初の姿に再建されました。

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古都奈良を象徴する五重塔です。現在の塔は1426年に再建されたものです。

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興福寺五重塔の高さは50.1mで、京都の東寺五重塔54.8mに次ぎ現存する日本の木造塔で二番目に高い塔となっています。

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来年から約120年ぶりの大規模修理が行われることになっており、心柱の四方に安置されている薬師三尊像、釈迦三尊像阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が特別公開されていました。せっかくなので拝観しようと思いましたが、スタートで立ち止まると最後まで回れません。あとで時間ができたら戻ることにしました。

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こちらの東金堂も拝観可能でしたが、あとに回します。堂内は室町時代に造られた本尊薬師如来坐像などが安置されています。

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奈良公園に出てきました。鹿せんべい売りは今も健在です。

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8月に屋久島へ行ったとき、ヤクシカに比べて奈良の鹿は大きいと指摘を受けましたが、本当にまったく違う動物かというぐらい大きさが違います。

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鹿せんべいを持った人たちが、鹿に追いかけられていました。走って逃げるから、走って追いかけられる。負けに決まってるよね。半べそをかいている人がいましたけど。

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広大な奈良公園は紅葉の美しい時期だったこともあって、大勢の人で賑わっていました。

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でも、美しく見えますが、奈良公園の中は鹿のフンだらけで踏まずに歩くのはもはや不可能。

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奈良公園に続いて若草山があったはず。遠足で登ったとき、下りは転がるように奈良公園に到着したはずでしたが、ちょっと景色が違います。以前はなかった建物が増えているし、もっと全貌が見えていたように思うのに、これじゃただの丘みたい。なによりも鹿の侵入防止のために柵が立てられていて、昔のようにどこからでも登れるようにはなっていませんでした。それでも、1月には今も若草山焼きが行われているようです。私のころは1月15日の成人式の日と決まっていたんだけどな。

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手向山八幡宮の前を通ります。749年東大寺と大仏建立にあたって、鎮守神として建てられています。1181年に平清盛の命を受けた兵士軍が、東大寺興福寺など奈良の仏教人を焼き討ちにした南都焼討で焼失したあと、再建されています。

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手向山八幡神宮の前には、向かい合ってひっそりと校倉造りの建物が2棟建っています。まったく重要そうでない扱いに見えるのですが、ひとつは手向山八幡神宮の宝庫、もうひとつは法華堂経庫で、奈良時代に造られた国の重要文化財です。あとで見る正倉院よりずっと近くに校倉造りを見ることができます。

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手向山八幡宮の向こうには三月堂が建っています。東大寺建築のうち現存する元も古い建物で、国宝に指定されています。

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お水取りが行われることで有名な二月堂に到着しました。お水取りは旧暦2月に行われていたので修二会(しゅにえ)と呼ばれる法会です。

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実はここへは来たことがありませんでした。子どものころに、どこかわからずにつれて来られていたという可能性は大なんですが、二月堂だという認識を持って来たのは初めて。

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階段脇に竹の造作があるのはなんだろう?雨天時の雨の流れを考えているのかこれから先の雪に備えているのか?この階段には、流水・亀甲・唐草・青海波・網代・菱といった美しい文様が描かれているそうですが、気づかなかったなぁ。

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階段を上って正面にある手水舎は、凝ったデザインが施されています。

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下には躍動感のある青銅製の龍。

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天井には木彫りの龍が配置されています。

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ここから二月堂の舞台を歩いて行きます。あれ?入口とかないの?拝観料なしで入れるとは思いませんでした。

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二月堂は、先の手向山八幡宮などが被害に遭った南都焼討では類焼を免れているのですが、1667年のお水取りのときに失火で一度焼失しています。

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吊り灯籠には二月堂の文字が彫り込まれています。

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舞台からの眺めは、思いのほか低い二月堂なのであまり望めません。大仏殿の屋根がちらりと見える程度です。

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登廊が見えます。お水取りの松明はここを通ります。

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舞台をぐるりと回るとこちらにも手水鉢があり、大きな吊り灯籠が掛かっています。

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二月堂は舞台を除いた北・東・南の3面をめぐる外陣が石敷きの土間となっており、ぐるりと建物を周回できるようになっています。

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北側から見ると、吹き放ちの舞台の様子がわかりやすいです。

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登廊は屋根付きの階段で、お水取りを行う11人の選ばれた僧侶である練行衆が二月堂へ上堂するときに通ります。

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登廊から舞台を見上げます。お水取りが始まるころは、一年でもっとも冷え込む時期ですが、その声を聞くと春が近づいている合図だといつも思うのです。動画を見つけたので、ご興味があればその迫力ある秘儀をご覧ください。

www.nhk.jp

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突き当りに見えるのが二月堂。たいして眺望も開けていなかったとおり、思いのほか低い位置にあり存在を誇示するような造りではありません。

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正倉院へ向かいます。ここも遠足で行った覚えがあるのだけど、今見るとどんなふうに見えるでしょう。