ある日の朝、いつものように新聞掲載の投稿者によるエッセーを読んだ。
その題名からは想像のつかない話にしばし言葉を失い、涙が止まらなくなった。
今、読んでもPCに向かう手が動くまでに、かなり時間がかかる。
『プロフェッショナル』
搭乗した羽田行きの便が離陸すると1歳の次男がぐずり始めた。抱き上げて席を離れ、デッキであやしていたが泣きやまない。途方に暮れていると、「ご機嫌斜めですね」とパーサーの女性が声を掛けてきた。
私は女性に、前日家族旅行先で3歳の長男が事故に遭い命を落とした。急遽自宅に戻るべく、この機に乗った。長男の棺は貨物室にあって姿が見えず、次男は泣くのだろう、など淡々と顛末を口にした。
女性は表情を曇らせてカーテン奥のギャレー室に隠れ、しばらくして再びデッキに現れた。座席で寝入る妻に視線を向け、「奥さまのご心痛には遠く及びませんが」と、極めて個人的なつらい経験を打ち明けてくれた。
羽田に着陸し、長男の棺が待つ貨物地区に向かった。指定の上屋に着くと、「いらっしゃいませ」の声とともに、フロア中央のLD3コンテナの前にスタッフが集まった。丁寧に扱われた棺には、白い花が添えてあった。
そして静かに整列し、ヘルメットを脱ぎ黙禱をしてくれたとき、抑えていた感情が解放され、妻と私は声を上げて泣いた。
もう大分時がたったが、あの日巡り合った、空の職業人が示してくれた矜持を忘れない。
この後しばらく経ってから、この人の投稿はほかにないのかと探した。
どこかで吐露することで、これまで何とかやってきたはずだと思ったからだ。
すると、この投稿から遡ること4年前にやはり載っていた。
『ファミレスにて』
20年ほど前、泊まりがけのドライブの帰路、昼食のために国道沿いのファミレスに寄った。妻と私、間もなく2歳になる息子、3人の小旅行だった。
女子高校生ふうの店員に案内されて席に着き、ランチを注文した。その店員がコップと、子供用の器をテーブルに運んだ。
そして、アニメキャラクターの台紙を取り出して息子の前に1枚敷き、その横に2枚目を敷こうとして、「あれ」と首をかしげて引っ込めた。テーブルには水を注いだコップが4つ、子供用の器は2セット置かれていた。
その様子を見ていた妻が「あの子がいる」とつぶやいた。
あの子、とはその半年ほど前、夏休みの旅行中に満4歳を迎えずに事故で亡くなった上の息子のことだ。横断歩道で妻と私の目の前で逝ってしまった。シドニー五輪で日本がメダルラッシュに沸いた9月のことだった。
それからは失意の日々で、せめて夢でもいいから会いたい、と願っては叶わなかった。その息子がまだそばにいる、と確信したのだ。
食事が提供されると妻は「初めにジュースを飲もうね、次はハンバーグ」と姿の見えぬ上の息子に語り掛け、うんうんとうなずく下の息子のしぐさがおかしくて泣き笑いした。嬉しくも切ない、つかの間の家族4人のだんらんだった。
食事を終えて外に出ると妻は店を振り返り、「ねえ、店員さんにはあの子が見えたのか聞いてきていい?」と言った。
私が促すと少し逡巡した後、「やっぱりやめる」と首を振り車に乗った。「彼女が怖がるとかわいそうだから」
若くして亡くなった子の歳を、親はいつまでもつい数えてしまうものだろう。
掲載日を見比べると、投稿者はたぶんこの数ヶ月のうちに還暦を迎える。
文字にして記せるようになるまでに、これだけの年月が必要だったのだろうか。