英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【ベトナム】ハノイ旧市街/ホアロー刑務所~ハノイ大聖堂~ホアンキエム湖

2024年(令和6年)11月2日(土)

 

来年のANAダイヤモンド会員継続を確実にするため、ベトナムの首都ハノイへ飛んでいます。前回はハノイ旧市街にあるトレインストリートの話を書きました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

ハノイ旧市街の散策に戻ります。裁判所の建物も立派。天秤棒を担いでいる人たちがいる一方で、こんな近代化した建物がある。時代が混在しているかのようです。

 

目当てはホアロー刑務所。フランスの植民地時代に造られた収容所で、その使用はフランス植民地時代とベトナム戦争時代に北ベトナム政府が使用していた時代に分かれます。

 

入場料は50,000VND(300円)現金のみです。これ以降、私が行った入場料のいる場所はすべて現金でした。中に入ったところでオーディオガイドが100,000VND(600円)で借りられます。オーディオガイドの方が高いって・・・借りません(笑

 

展示は主に植民地時代のものです。フランスは植民地化に反対する活動家などの政治犯を収容していました。

 

なんと過酷な状況かと息を吞んだのが足枷。収容されるだけでなく、片足の自由を奪われた状態なのです。体長を悪化させても繋がれたまま。でも、この展示の中に本を囲んでいる人たちがいました。おそらく彼らはそれでも勉強していたのだろうと思います。

 

下の画像は地下下水道の跡で、それぞれ1945年と1951年の脱走に使われた箇所です。1945年の脱走ではなんと100人以上が坑道到着に成功、1951年は17人の死刑囚らのうち5人だけが脱走に成功しています。綿密な計画のもと、足枷から足を引き抜き、看守の鍵を複製して檻を開けて決行したと言うのです。

 

いかに過酷な収容所の待遇だったかが、壁のレリーフに描かれていました。

 

ベトナム戦争では最後までアメリカ軍に屈しなかったように、忍耐強い国民性が垣間見えるかのようです。

 

レリーフのそばにはアーモンドの大木があります。囚人たちはアーモンドを利用して赤痢や下痢を治したり、傷をきれいにしたり、ナッツを使って健康を改善したり、はたまたパイプやフルートなどを作ったりもしたそうです。また、厳しい監禁や弾圧についての対応を話し合っていたこの場所は、いつしか歴史の一部となりました。

 

続いては、女子収容所です。女子の活動家も多くいました。

 

さすがに足枷をつけられることはなかったようですが、幼い子どもとともに収容されている様子が描かれています。

 

奥には死刑囚の処刑に使用したギロチンもありました。

 

処刑された囚人が収容されていた檻房にも入ることができました。硬い石のようなベッドの上に足枷が備えられています。

 

政治囚にとって、残酷な殴打、カビの生えた米、汚い野菜、腐った魚を食べさせられる泥だらけの収容所だったようです。こんな地獄のような状況に直面しても、革命兵士のたゆまぬ意志を消すことはできなかったと書かれていました。彼らは自由を獲得したあとも植民地時代の刑務所を学校に変え、戦い続けるための訓練場にしたようです。

過酷な収容所ではありますが、北ベトナム政府がベトナム戦争アメリカ人捕虜を収容していた時代の説明はなかったように思います。やっぱり都合の悪いことはスルーするわね。

 

ホアロー刑務所を出て1ブロック先にクアン・スー寺があります。15世紀に建てられた仏教寺院でベトナム仏教の総本山です。

 

黄色を基調とした建物で、見慣れない外観が新鮮。

 

中では供物を供え、熱心に祈っている人たちがいました。

 

外側にある建物は僧侶の住まいなのでしょうか。

 

2階にも祈りの場がありました。靴を脱いで入るよう注意が書いてあります。ただ、ベトナム人の宗教事情は7割以上が無宗教という無宗教国家です。

 

仏教徒は1割強。でも無宗教者においても、日本人と同じく日ごろから仏教寺院に訪れるのもまたごく当たり前のことのようです。

 

提灯の下がった雰囲気が古都を感じさせるようで、いいですね。

 

旧市街はどこを歩いても街路樹が多く、涼を取れます。9月の台風11号ではハノイ市内で4万本もの倒木があったというニュース記事を読みましたが、さすがは首都、2ヶ月近くを経てどこにもその痕跡は見当たりませんでした。

 

10分ほど歩くとハノイ大聖堂に到着しました。正式には聖ヨセフ(ジョセフ)大聖堂です。キリスト教信者は仏教に続いて多く、1割以下。

 

1884年に仏教寺院の跡地で建築が始まり、現在の形になったのはフランス統治時代の1900年のことです。統治するフランス人のためだけでなく、植民地に対する布教活動の一環でもあったのでしょう。

 

パイプオルガンもきちんと備えられています。

 

ミサのときには教会内では収まり切れず通りまで信者でいっぱいになるそうで、1割以下といわれる信者数よりも実際にはもっと多いのではないかと感じさせられるようです。

 

美しいステンドグラスが嵌め込まれ、しばし外の喧騒を忘れる厳かな空間でした。

 

母子像の建つ大聖堂前は観光客でごった返しています。でも、興味深いのは教会だけではありません。周りの様子をそっと撮ってみました。

 

まずは大聖堂の向かいのCafé。見えるかしら?2階のバルコニー部分には大聖堂に向かってずらりと人が並んで座っているの。

 

もうひとつ大聖堂の横にあるCafé。ええ、これもCaféなの。ここだけではなくハノイの地元Caféは大体こういうスタイル。低いポリプロピレン樹脂の椅子に座って飲み食いしているのよね。

 

チェックアウトの時間が近付いてきたので、一旦ホテルへ戻り荷物を預けます。ホテルの近くにはハノイ近郊で陶器村として人気のバッチャン村の食器を扱っているお店がありました。

 

かわいい豆皿は数十円ぐらいだったんじゃないかな。もう食器は増やさないと決めているので、ちらりと見ただけだったけど。

 

旧市街を離れる前に、ホアンキエム湖へは行っておきましょう。ホテルから5分と離れていません。湖の浮島に玉山祠(ぎょくさんじ)というお寺があって伝説の亀がいるらしい。

 

でも、入場料がいるというのを見て退散。そろそろ暑くなってきていたのと、かなり人がいたので、他へ回ることにしました。さらに両替することになるのは嫌だったしね。

 

ホアンキエム湖から10分ほど歩くと、地元民に愛されているというドンスアン市場があるというのを思い出して行ってみたのだけど、たぶん入った場所が悪かったのね。ベトナム製の安い服が所狭しと積んであって、そのケミカル臭で息もできないほど。もう少し調べていればベトナム食材などもあったようなのだけど。

 

旧市街の道は概ねこんな感じ。ちょうど車やバイクの切れ目で撮ったので長閑そうに見えますが、なんのなんの。際を通り過ぎるバイクに緊張の連続で疲れました。

 

Grabタクシーを呼び、次のホテルへ向かいます。1泊目のL’HÔTEL du LAC Hanoiのスタッフはとても親切で、私たちには到着まで座って待っているように言い、到着時には車とバイクで混雑する道を誘導し、荷物も積んでくれました。Grabには出会えても、あの道を歩くのは本当に難しいので助かりました。そして、Hotels.comのゴールド会員だったためかお土産もいただきました。エレベーターの鯉の絵のトート。かわいいんでないかい?

 

ハノイ旧市街はこれでいったん離れますが、もうひとつ印象的だったこと。店番をしている人たちほぼすべてが、店先で例のポリプロピレン樹脂の椅子に座り、スマホと睨めっこ。中には売れるとは到底思えない品々の店を構え、いったいどうやって生活していくのだろうなぁ、と思ってしまったほど(←余計なお世話)。しかも、これが首都であるということにも驚きましたが、観光地と考えるならそんなものなのかな。

続く 【ベトナム】「InterContinental Hanoi Landmark72」クラブフロア室内編

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