2025年(令和7年)12月28日(日)
今回で最後にする予定の長距離路線、思い切ってピラミッドを見に行こうと決心し、年末年始の旅行を計画しました。決して訪れるはずのなかったアフリカ大陸に来て、ピラミッドを目の前に滞在中です。前回は、ピラミッドのあるギザ地区の宿泊地付近を少し散策した話を書いています。
9時、ホテルからの斡旋でのプライベートツアーの開始です。11,413EGP(120USD×2名=38,955円)は決して安くないと思いますが、交通費嫌いの私でも地元バスなどを駆使して移動するにはかなり厳しい状況であると感じたので正解だったと思います(Uberもマッチング金額より吊り上げられるという評判通りだった話は、また後日に)。ドライバーは到着していましたが、ガイド氏が遅刻。しかも、15分ほど遅れたというのに謝らないんだよね。お国柄かしら。まずは1時間ほど車を走らせ、カイロ市内中心にあるエジプト考古学博物館からスタート。

187mの高さを誇るカイロタワーが見える位置にあるこの博物館は、この年にようやく開業にこぎつけた大エジプト博物館ができるまでメインだった博物館で、有名なツタンカーメンの黄金のマスクなどを所蔵していました。

このツアーではどちらの博物館の案内もお願いできたのですが、エジプト考古学博物館の入場料550EGP(1,880円)に対し、大エジプト博物館は1,450EGP(4,950円)との高額ということ、歴史に疎いこと、広すぎる館内や主要な展示物の多くがまだ残されていることなどもあって、もし見たければ翌日自力でも行ける大エジプト博物館を外しました。(2026.1月現在の価格)

外貨不足を補うための政府の方針で、博物館などの入場料はクレジットカード決済一択です。上の2人は宿泊中のホテルの名前となっているアメンホテプ4世(別名AKHNATON/アクエンアテン)の母ティイの両親(ややこしい)。

慶応大学で日本語を学んだというガイド氏は、あまり日本語は上手ではないと本人が言っていたとおり、解説はとてもわかりにくかったのですが、案内してもらったことで興味が持てたことは大収穫でした。入口でまず注目すべきは左側の像。

ラムセス2世はエジプトでもっとも偉大な王と言われているファラオです。クフ王よりも遅れること千年以上あと、紀元前1301-1213年頃エジプト新王国時代の王のため、ピラミッドは遺していないもののナイル川沿いにアブ・シンベル宮殿などを造っています。

右側の像の脇にはロゼッタストーンのレプリカがあります(本物はイギリスの大英博物館所蔵)。ロゼッタストーンはナポレオン時代に発見された石碑で、紀元前196年プトレマイオス5世の勅令が古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシャ文字の3種類の文字で刻まれています。

傍らには解読者のフランス人のエジプト学研究者ジャン=フランソワ・シャンポリオン(Jean-François Champollion1790-1832)の像があります。彼の解読によって古代エジプト語の記録が解読できるようになり、エジプトの歴史が紐解けていきました。

さらに進みましょう。ファラオでチェックしておくべきは、ギザの3大ピラミッドのクフ王、カフラー王、メンカウラー王ですが、まずカフラー王がこちら。クフ王の息子です。

エジプト神話における天空の神でホルス神(王家のシンボルとして崇められているハヤブサ)に頭を守られ、植物をモチーフにした椅子に座っています。


その息子メンカウラー王の像は、1910年に自身のピラミッド近くで守護神を従えた状態で3対見つかりました。そのうちのひとつは大エジプト博物館に移動しているのですが、残った2対を見ると石が違うのか色味は異なるもののそっくり同じに造られています。

一方、最大のピラミッドを持つクフ王はこんなに小さい像しか見つかっていません。

わずか7.5cmという小さなクフ王像。しかも、他のファラオ像と比べるといかにも人間っぽい。

クフ王の弟夫婦の像(ラーヘテプ&エフェレト)も大きいです。外で働く男性は日に焼けて黒く、家にいる女性の肌は白いというのを表しています。

また、ファラオの立像は手に権力を表すウアス笏を持ち、左足を前に出していることが多いです。単に立像では生死が不明に見えるので、生きていることを象徴するために左足を出しているとされています。また、顎にぶら下がるこれは付け髭。付け髭はファラオだけが着用を許されている王のシンボルです。

他のファラオ像も続けましょう。クフ王より100年ほど前に最古のピラミッドを築いたジェゼル王。3大ピラミッドより20kmほど南下したところに階段式の6段ピラミッドが遺っています。目に入っていた水晶は盗掘されてなくなっているので、ちょっと悲しそうな表情に見えます。

一方メンチュヘテプ2世は、ピラミッドが造られていた時代が終わり、内紛で群雄割拠となっていたエジプトを再統一したファラオで、足が太いのは象皮病を患っていたという説があります。

こちらはハトシェプスト女王で女性のファラオですが、伝統的な男性の衣装を着ていることが多く、ファラオのシンボルである付け髭も着用しています。

横顔を見るとそれがわかりやすく、耳の手前に見える黒い線は付け髭を下げている紐の跡なのだそうです。

女性君主の統治を慣例化したくなかったためか、次のファラオが即位すると彼女の像や記念碑は壊され、建物に刻まれた名前も削られ、事跡が抹消されていきました。

それでもハトシェプスト女王のスフィンクスも遺されています。破壊されて採石場に捨てられていたのを再生したものだそう。

ハトシェプスト女王のあと、ツタンカーメン王やラムセス2世などが続き、紀元前1000年を挟んでプスセンネス1世の時代が訪れます。ツタンカーメン王の黄金のマスクなどと並んで3大黄金マスクのひとつとされているのがこちら。指サックなど、発掘当時のミイラが身につけていたというその他の副葬品も多く展示されていました。

頭の上についている生き物は蛇に見えるのだけど、どうだろう。プスセンネス1世は芳しい業績を残せなかったファラオだそうですが、一度も盗掘されることなくお墓が見つかったということで名を遺すこととなりました。

副葬品の数々は数千年の時を経ても美しい輝きを放っています。

彼の棺はマトリョーシカのように何層にもなって葬られており、最後は銀の棺に入っていました。

調べた限りでは銀の棺が入っていた石棺はこれではなかったようにも読めるのですが、唯一無傷で発見されたプスセンネス1世のタニス地下王墓の埋葬品のひとつであることには違いないようです。足裏にまでヒエログラフがびっちり。

そして、プスセンネス1世の銀の棺がこちら。当地では金よりも希少だったという銀で造られた棺で、目には水晶が埋められています。

像だけでなく、その他の展示物も多くあります。ヒエログリフは生き物や植物などを模して描かれているので、一旦覚えるとわかりやすそうな記号となって並んでいます。

こちらはのちにキリスト教徒によって描かれたと言っていたような気がします。ガイド氏は偶像崇拝を禁じられたイスラム教徒なので、忌々しそうに語っていたように思うのですが、なにしろ彼の日本語がわかりにくかったので、違う説明だったかもしれません。

石棺も多く残されていました。

いずれも数千年の時を経ているとは思えない彩りと、発達した文明を持っていたことが窺えるヒエログリフが残されています。

色鮮やかな内装には何が記されていたのでしょう。

階段の途中にもパピルスに描かれたヒエログリフの展示がありました。

これらの説明はされなかったのですが、調べてみるとこれらは「死者の書」と呼ばれ、死者が冥界を通過する際の注意点や、多数の祈祷文、呪文が書かれているのだそうです。

もともとはファラオが死後に神々の世界で生活することを祈念するものだったのが、やがて王朝の高官や裕福な市民にも用いられるようになったといいます。確かにこれだとわかりやすそう。

その他の必見の像は、こちらが書記官の像。識字率の低い時代において、書記官はエリート。法的文書や納税記録などを記録する重要な役目を担っていました。

水晶が嵌め込まれ、アイシャドウのように緑色に縁取りされた目は生き生きとしています。

この書記像は200EGP紙幣に描かれています。来世も自分の地位を保つために書記官としての彫像を一緒に埋葬したそうですが、それ以上の待遇じゃないですか。

こちらは最古の木像、Ka-aper像(カーアペル)。発掘作業者たちの村長に似ていたことから村長さんの像とも呼ばれています。これほど保存状態の良い古王国時代の木像は貴重で、高く評価されています。

この木製パネルは、記録されている中では最古の歯科医師と言われているHesy-Re(ヘシー・ラー)。彼はその他多くの功績を残している高位官僚なのですが、もっとも知られているのが「歯科医の偉大な者」としての称号で、水晶の目を盗まれたジェゼル王のころに働いていたと考えられています。


怖かったのがこの壺。他にもこういった壺があちこちに置いてあったのでオリーブオイルでも入れていたのかしらね、と話していたのですが、調べてみるとカノプス壺といってミイラから取り出した臓器を入れておく壺だそうです。これは若くして亡くなったHornakht(ホルナクト)王子の臓器が入っていたもの。

入場券にも描かれていたこちらはアメンホテプ3世の妻の両親のマスクで、アメンホテプ3世と王妃ティイの像はかつてこのエジプト考古学博物館の吹き抜けに2階に至るほどの高さで置かれていました(現在は大エジプト博物館に移動)。右が父イウヤ、左が母チュウヤ(左)です。アメンホテプ3世はルクソール神殿などを造ったファラオで、王族出身ではない彼らの娘ティイと結婚するのは異例のことでした。

ティイが王妃だったことから、イウヤとチュウヤが亡くなったとき2人がもっとも上等な土地に立派に葬られるよう取り計らわれ、王族と同じルクソールの「王家の谷」に埋葬されました。

イウヤとチュウヤのミイラが展示されていました。ミイラの顔はとてもきれいに保存されているそうですが、私は直視できませんでした。またその他のミイラのほとんどは、エジプト文明博物館に移されているとかで、うまく埋葬品を分散させて公開しているようですね。

その他の木棺の展示もありました。

この目も水晶になるのでしょうか。アイラインがくっきりしているのも共通。私のイメージする現代のエジプト人女性もアイメイクしっかりなんだけど、彼女たちの美意識はここに原点があるのかも。

その他ずらりと木棺が納められていた2階ギャラリー。

いくつかの目玉を除き既に多くが大エジプト博物館に移されているようで、2階はがらんどうの場所も多かったですが、それでも見所満載でした。

少し前まではここにアメンホテプ3世と王妃ティイの巨大像がここに据えられていたはず。その迫力ある姿を見たかったな。ご参考までにこちら載せておきます。

願わくはもう少し日本語の上手なガイド氏だったらというのはありますが、歴史に疎くても幾人かのファラオを知っておけばかなり楽しめる博物館でした。実際に足を運んだ後は、ナイル川を南下してルクソールの王家の谷やアブシンベルへも行ってみればよかったなと思います。ただし衛生面が気になる場合は、ツアーで行ったほうが見ないでいい環境は避けてもらえていいんじゃないかな。