英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【山口】2日目-1 萩城下町散策 木戸孝允・青木周弼旧宅

2017年(平成29年)9月10日(日)
 
突然家族全員でどこかへ行こうと盛り上がり、ANA特典航空券で空きのあった山口県を巡る旅に来ています。
前回記事はこちら。
常茂恵の朝、朝食会場です。

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見下ろすと、庭がちらりと見えますね。2階はランク下の部屋です。お庭が見えませんもんね。

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1階にお泊りの人たちは1階で朝食なので、内容も違うのかもしれません。それでも、朝ご飯も充実していました。
好みに合わせて、オリーブオイルなども使えるようになっていました。

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お米の美味しいところだったので、食も進みました。やっぱりここにしてよかった。料理長はまだお若い人のようです。いい朝ごはん時間となりました。

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食後、早々に娘は萩焼体験に出発しました。前日からいくつか予約の電話を入れていたのですが、受入れ不可だったり不在だったりで7件目にしてようやく取れた予約です。
 
その間、城下町めぐりをすることにしました。ただ、持っている観光地図では、なかなか場所がはっきりしません。きのうも近くを通ったはずなのに、観光できるような場所に辿り着けませんでした。 
 
商店街を抜けると雰囲気が出てきました。でも、公開されているような建物ではありません。

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さらに進むとやっと人の姿が見え始めました。道にはゆかりの人たちを説明した看板もあちこちに立てられていました。

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まず最初に木戸孝允(桂小五郎)の旧宅。20歳まで過ごした家です。

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入場料は100円なのですが、いくつかまわれる共通券310円もありました。安いです!北欧旅行のあとなので、余計にこの安さが身に沁みます(笑

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萩は空爆順位が160数番目だったそうですが、直前に終戦を迎え、難を逃れた城下町がそのまま残っています。区画もそう変わっていないようですね。

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木戸孝允誕生の間は、4畳半の小さな部屋でした。そりゃお産用の部屋ですから、そうですよね。

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庭の松は樹齢200年を過ぎているようですが、盆栽から育ったのだそうです。

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11歳のときの木戸孝允の習字が飾られていましたが、そりゃもう達筆。撮っておけばよかった。 
 
お屋敷を出ると江戸屋横町と呼ばれる通りです。城下町の町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねており、ここは木戸孝允旧宅、2軒隣に青木周弼旧宅、その向こうに高杉晋作伊藤博文ゆかりの円政寺などが並んでいます。

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蘭方医、青木周弼旧宅です。萩藩医の父のもと漢方医学を学んだ後、江戸に出て蘭学を学び、緒方洪庵と並ぶ日本屈指の蘭方医として知られるようになりました。

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当時恐れられていた天然痘の予防を学ぶため、弟の研蔵を長崎に派遣。その後、弟と共に藩内で初めて実施しました。のちに研蔵は明治天皇の大典医として召し抱えられました。

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そんな青木家に全国から多くの人が学びに来ていたことは、台所の向こうに、彼らの居室があったことからもわかります。

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おくどさんは、萩市がこの家を買い受けたときに板を外してみると出てきたそうで、修復工事の折に再現されました。

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平成2年、この蔵の床下から一分銀が約1,200枚出てきたそうです。

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改装中、朽ちた床板を外した大工さんの発見です。何十枚かずつにくるまれたその包みには、研蔵の署名がしてありました。ここまで長く見つからなかったのは、研蔵が旅先で急死したために、財産がどこにあるか家人にわからなかったからだろうということでした。

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青木家を出ると、伊藤博文が住職から読み書きを教わったと言われる円政寺。

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高杉晋作生誕の地と続きます。

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もうひとつ入ったのが旧久保田家住宅。こちらは商家。商家へ入ると、中・下流武家屋敷がいかに質素だったかがわかります。
次回記事で比べてみましょう。