2018年(平成30年)2月10日(土)
イタリア旅行前に、娘がたまにはいい宿に泊まりたいと言い出しました。海外はもういいから国内へ行きたいとずーっと訴えており、しかも、いいところへ泊まりたい、と。
10年ほど前まで、仕事の都合で1泊3万円を下るところへ泊まることがなかった私は、方々でさんざん美味しいものも食べてきました。
だから、自分で行くようになったとき、そこまで出す必要を感じなかったのです。だって、大満足もあるけれど、高いのにハズレもやっぱりあるので、自腹じゃちょっとね(笑
以来、うまくいけばアタリという程度のホテルばかりを取ってきたので、うまくいってもそこそこでしかありません。もともと一所でまったりするのが好きな娘は、遠くへ行ってそこそこよりも、近くでいい、ホテルライフそのものを楽しみたいと思うようになったようでした。
自分で勝手に行くのもアリでしょうが、自分で出すのにはまだまだ難しい。連れて行ってやれるあいだは、それもいいかなぁと思って選ばせてみたら、なんのことはない、1泊34,000円の宿でいかが~?とのたもうたのでした。
宿代だけで102,000円。自腹となると、一瞬ひるみますね~
直前の天気予報は、出発の日の夜から朝にかけて雨。
特急ときわは、全席指定ですがガラガラ。
バスを待っていると、1日フリー切符があるとわかりました。
偕楽園までバスで片道240円なのに、主だった施設も割引になって400円。
これは買わなくては。
バスの経路はいくつかありますが、乗ったバスの到着は常磐神社前でした。
おみくじ好きの娘が引くと小吉。
「人の批判をする人は、自分のことは見えなくなっている」
ほぉぉ、まさに。
待ち人は「来るけど便りはない」だって。大笑いで、隣の偕楽園へ向かいました。
おみくじって私は引かないけど面白い。
偕楽園仙奕台からの眺めは、季節外れも甚だしい。
「仙奕台(せんえきだい)」とは周囲の景観を一望できる、この突き出た台地のことで「奕」は囲碁を指す言葉だそうです。
向こうに見えるのは、好文亭。
フリー切符を持っていると入場料が50円割引になるので、行ってみよっか。
1945年に水戸大空襲で焼失しましたが、1955年から3年をかけて再建。
1969年には落雷で焼失、東日本大震災でも壁の崩落などの被害がありましたが、いずれも復元、復旧させています。
襖絵の復元は、当時東京芸大助教授だった須田珙中(すだきょうちゅう)と、その弟子田中青坪(たなかせいひょう)によって描かれました。襖絵制作の基本方針は、その部屋の名称を画題として自由に描くというものでったそうですが、これが思いの外、楽めました。
つつじの間
松の間
紅葉の間
竹の間
竹の間の裏側に梅の間があるのですが、欄間も工夫されています。
萩の間
桜の間
当時の襖絵とは、まったく異なることと思いますが、復元するにあたって、敢えて自由に描かせたというところが大胆ですよね。
東塗縁広間は、藩内の家臣、庶民の老人を招いて慰労の催しをされた総板縁の室。
諸士は80歳以上、庶民は90歳以上の者を招いたそうです。
隣は、藩主が来亭しているときに執務した御蓙の間。竹のアジロ網の中に紗を張った網代戸を通して、左右の間が見えます。
御蓙の間の向こう側には西塗縁広間。詩歌の宴を催した場所だそうです。
東塗縁広間の倍の大きさで、天井は杉皮網代張り。障子の白色と、総板縁の黒色と、庭園の緑が見事な調和をみせる部屋です。
2階へ上がりましょう。
これは、藩主もさることながら、招かれた人にも最高のおもてなしですよね。
2階へは配膳用の昇降機もつけられたんだそうですよ。
こちらが2階。
こちらが1階
外へ出ると、待合があります。ちょうどそこに通りかかった観光客の方が解説してくれました。
右に門がありますね。その下の方に川が流れています。そこへ船が着いて降り、坂を上がってきてこの門をくぐり待合に入ったんだそうです。昔の人って、風流ですよね~
最後に、美しい竹林のそばには、空襲で焼け落ちなかった好文亭表門がありました。
これは当時のままの姿を残している貴重な門です。
季節外れではありましたが、大満足で偕楽園をあとにしました。
バスで水戸駅まで戻ってランチにします。