英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【ANA SFC修行 長崎】2日目-3 遠藤周作「沈黙」の舞台をめぐる 大野地区

2018年(平成30年)10月21日(日)  
 
ANAの上級資格を取るべく思い立ったマイル修行の一環で、長崎へ1泊2日で来ています。
前回記事はこちら。
長崎旅行2日目、遠藤周作「沈黙」の舞台をめぐるツアーに参加中です。 
黒崎地区、出津(しつ)地区を回って、さらにツアーは大野地区へ向かいます。
 
この大野教会堂ド・ロ神父1893年私財を投じ信徒とともに建設した教会です。

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今はもう使われていないそうで、普段は中を見ることはできないのですが、この日は風を通しに来られており、外から少し見ることができました。

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ぐるっと回ってみました。 
 
大野教会堂の壁はド・ロ壁と言われています。枯松神社へ向かう道で見たように、外海では土留めの石垣、防波・防風の石築地、居住地の石塀、住居・蔵の石壁など多種多様の石積み構造物が築かれています。しかし、当時は石を積み上げるときの接着剤として、アマカワを使っていたため、雨に濡れると流れ出し、壊れやすいのが弱点でした。
 
そこで、ド・ロ神父が新しい製法で石積みの壁を考案しました。神父は赤土を水に溶かした濁液に石灰と砂をこね合わせたものを接着剤に使用。これにより丈夫な石壁を造ることができるようになり、ド・ロ壁と呼びました。
 
大野教会堂の壁は結晶片岩ではなく、大野岳で採れる玄武岩を使用しています。地元の自然石で造ることを基本としていたようですね。

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この大野教会から池島が見えます。右手前の大きめの島です。いまごろもうひとつのツアーの人たちは、炭鉱体験をしていることでしょう。
 
遠く向こうに見えるのは五島列島です。天気が良くても、あそこまで見えるのは非常に珍しいそうです。晴れ女、本領発揮です。

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続いて行くのは、バスチャン屋敷跡です。
バスチャンは日本人で、洗礼名です。一番最初に訪れた枯松神社に祀られていたサン・ジワン神父を師とし、禁教令により外海地方の神父がすべて追放された後、バスチャンがこの地方のキリシタンを指導したと言われています。バスチャンは追手を逃れるため隠れ家を転々としたと伝えられており、バスチャン屋敷もそのひとつと言われています。
石積みが見られる道を進んでいきますが、蛇の目撃情報もあるらしいこのあたり。

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あぁ、見えてきました。暗い山の奥で、ひっそり隠れていたのでしょう。屋敷と呼ばれていますが、貧しい小屋。これがバスチャン屋敷です。

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これは復元されたものですが、中を見ても何もありません。狭い小さい小屋です。命を懸けそこまでして信仰を守る、どんな時代だったのか、思いを馳せようにも想像すらできません。

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バスの中からちらりと見えたのも教会だと説明を受けました。十字架のある建物と、その手前にマリアさまが見えるでしょうか。バラック小屋のような造りでしたが、今もこうした多くの教会が点在しているそうです。

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このあと、遠藤周作文学館に向かいました。
文学碑のある場所を「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と言ったそうで、とても気に入っていたこの地に、文学館も建てられることになりました。

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海に突き出るような場所に建っており、テラスからは炭鉱のある池島も五島列島も見渡せます。この時間になっても遠くまで望めるとは、本当にお天気に恵まれました。

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文学館では、興味深く色々なものを見ました。

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遠藤周作は熱心なクリスチャンだったわけではなかったそうです。お母さまの勧めで中学生になったころ洗礼を受けています。 

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文学館の上には道の駅があり夕陽の名所なのだそうです。
ここから出津地区が見えました。行った私には、出津教会や旧出津救助院もわかるのですが、今もここが小さな集落で、こんなにも海に近く、きっと厳しい自然の影響を受け続けていることが想像していただけるでしょう。 
 
池島炭鉱から戻ってこられた人たちと合流して、長崎駅へ戻りました。途中、ながさき乙女大橋を渡り下からも見上げましたが、あんなに高さがあって豪華客船があと2mまで迫るとは、なんと巨大なと驚きました。
地味だけれど、いいツアーでした。
  
時間をきちんと把握できていなかったので、空港へのシャトルバスに乗るために、またしても走りましたが、それも、ご愛嬌。
帰宅が遅くなったので、お土産は一部しか写していません。 

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道の駅であごだし味噌もGETしています。空港では大村寿司を買いました。

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【大村寿司】
戦国時代、当時の大村領主であった大村純伊(すみこれ)は島原の有馬氏との戦に敗れ大村の地を追われました。しかし後に純伊は領地を奪回。
領民は帰還する当主や将兵を出迎えるために食事を準備しようとしましたが、
急なことで膳を用意することができず、「もろぶた(木製の長方形の箱)」に
炊きたてのご飯を敷き、魚や野菜などを載せ押しずしにしました。
そして将兵らが脇差しで四角に切って食べたのが由来とされています。
それ以来、大村では「勝ち戦のお祝いの寿司」=「めでたい寿司」として、
お祝い事には欠かせないものになりました。
 
これで、長崎旅行を終わります。
平和記念公園へ行けなかったのが残念だったので、またいつか訪れたいです。
 
終わり。