2016年(平成28年)11月5日(土)
でも、やはり紅葉が美しいという秋に行ってみたい!しかも、思い立ったまさに今が絶好の季節!これを逃すのは、なんとも惜しいので、調べるだけ調べて備えていました。
そして、天気予報とにらめっこしながら、ある朝決行しました。
出掛けずにはいられない晴天が、写真からもわかるかと思います。
バスを待つ人たちに、なんと外国人観光客の多いことか。
やってきたバスは観光バスタイプでしたが、全員着席したあと立って乗るのもOKでした。
真ん中に立ち止まらず、奥まで詰めてくださ~い
係りの人が連呼していましたが、ちょうど立っていたのがほとんど外国人だったため、通じないので諦めて出発となりました。
でも、私はできれば途中の明智平で降り立ちたいと思っていました。
紅葉シーズンが大渋滞ならば、ここで降りるのは時間のロスになるうえ、後続のバスもそう多くはありません。中禅寺湖へ行ってしまった方がいいのか、かなり迷いました。
しかも、この明智平の情報があまり多くなかったのです。
わざわざ降りる価値があるのかないのか。
ところが、明智平を目前にして渋滞が始まります。
それもまた口コミによると、駐車場が無料で誘導係員がいないらしい。
駐車場へ止める車と、抜けたい車とで混雑し、なかなかバス停へ着けません。
バスの中からは、ロープウェイに乗る人たちの行列が見えました。一瞬ひるみましたが、やっぱり行きたい気持ちが勝ってしまい、勢いで降りてしまいました。
満員のバスから降りた人は、10人程度。バスの運賃はここまでで1,100円。
ロープウェーはなんたいとけごんの2機しかありません。この日は4分おきに運行していましたが、一度に乗れるのはたった16人。いつまで待てばいいのか見当もつかず、後続のバスに乗った方がいいのか、なおも迷いながら並んでいました。
ロープウェーのそばに見えるのは男体山です。
江戸時代までは女人禁制だったそうですが、女性だけでなく牛や馬もダメ。いろは坂に入る前に馬返というバス停がありましたが、ここまでしか牛馬で来ることが許されていなかったのでしょうか。
姿を見てもわかるように、なんども土砂崩れがあったのでしょう。50年にも及ぶ治山工事で緑が戻り、今は土砂災害もなくなったそうです。
振り返るとさらに行列は伸びていましたが、今さら諦めるわけにもいかないのでのんびり待つことにしました。
それにしても、チケットはどこで買うのでしょう?
レストハウスへ入ったところで、運賃表を見ることができました。往復730円。
チケットは乗る寸前に買います。ロープウェーが4分おきなので、乗車直前の4分のあいだに定員の16人だけが購入できます。
直前にロープウェーの歴史も紹介してありました。
1933(昭和8)年開業。戦争中、中止されたのち撤去されています。戦後、復活が計画され、1950(昭和25)年に再開されました。戦争中に廃止されものが復活したのはここだけだそうです。
50分待ったのち、やっと順番が回ってきました。
乗車時間はわずか3分ほどです。
ところで、この明智平。明智光秀が名づけの親と言われています。正しくは天海大僧正が名づけているのですが、この人こそが明智光秀だという説があるそうです。つまり、本能寺の変のあと、京都の合戦で亡くなったのは影武者、天海大僧正となった光秀が昔の自分の名を残したいと、日光の見晴らしの良いこの場所に明智平と名づけたとか。
並んでいるあいだ、あちこちで明智平の名の由来について、同じ疑問を持つ声が聞こえてきていました。本能寺の変といえば、京都ですもんね。遠くこの地で明智と聞いても、やっぱり思わず京都を連想させられるものですね。
ロープウェイから見える景色も圧巻でした。
いろは坂のすぐ右に見える滝が方等の滝、写真の右端のほうに小さく見えるのが般若の滝です。
そして、さらに右に目をやると一面の紅葉!
ロープウェイを降りると、展望台までは階段を上るだけです。
バスを降りてよかった。ロープウェイの行列に並んでよかった。この天候ならではのこの景色。ほかに何もない場所なのですが、それはそれは美しかったです。
展望台の反対側は筑波山方向。
でも、まったく土地勘のない私は、筑波山が見えていたとしてもわかりません。80kmも先のようなので、きっと見えていなかったんでしょうね。
赤い屋根はレストハウスです。こんなに近いのだから、待ち時間の50分で歩いて上る方法があったのかも。
中禅寺湖までは歩いていくこともできるそうです。地図で記してあるのは茶ノ木平バス停ですが、この付近の遊歩道の分岐点までで1時間10分。半月山からは絶景とか。
でも、既に時刻は11時。秋の日暮れは早く、到底時間はありません。それならば、地図上に見えるイタリア大使館別荘記念公園へはぜひとも行かねば!
明智平の駐車場には列をなして車が待っているので、おそらくバスも遅れてくることでしょう。