英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【滋賀】近江八幡でヴォ―リーズ建築を楽しむはずだった-前編

2022年(令和4年)10月

 

大阪伊丹行きの飛行機が格安で購入できたので、突如として決めた大阪行き。私は相棒とは別行動で、かねてから再訪したいと思っていた滋賀県近江八幡ウィリアム・メレル・ヴォ―リーズの建築群を見に行くことにしました。ただ、朝から東海道線の遅延情報が出ており、京阪三条駅での情報は40分遅れ。うーむ、そうでなくとも厳しい行程なのに行けるかな。京都に留まっておく方がいいかな。

とはいえ、滅多にないチャンス。40分遅れということはその前の電車に乗れる可能性もあるというわけで。しかし、ちょっと知った路線ということもあり、飛び乗った電車が湖西線だったと気づいても後の祭り。琵琶湖東岸へ行くべきが、枝分かれして西岸へ行ってしまった・・・そこから別の合流方法もあるけれど、なにぶん本数の少ない路線だし、スマホの充電も充分ではなかったので路線検索もできず、戻って乗り換えてさらに近江八幡への到着が遅くなってしまいました。

しかも、駅から観光の中心地までは徒歩20分ほどあるんだよ。バスの時刻を調べる余裕もなく、歩き始める私。スマートウォッチで歩数稼ぎでもしてなかったら、こんなハードな行程は決行しなかったに違いない。

しかし、とりあえず最初に到着したヴォ―リーズ建築第1号のアンドリュース記念館でがっくり。10数年前に来たときは、たぶん無料だった数々の施設はすべて有料化されていました。でも、あとでよくよく調べてみると、普段は非公開の3施設を年に2回だけ一般公開しているというまたとない機会だったのです。でも、観光に充てられる時間はランチを含めて2時間。有料でじっくり見学なんてしていられない。

 

アンドリュース記念館の後ろには近江八幡教会安土桃山時代織田信長キリスト教に寛容だったというけれど、それでもこの地で布教活動をすれば、風当たりは相当あったんじゃないかな。一時、読み漁った玉岡かおるの『負けんとき』で、その妻、満喜子を通しての日々を読んだ記憶が残っています。

 

本能寺の変織田信長を亡くした安土城下の民を近江八幡に移し八幡山城を築城した豊臣秀次は城下町を開き、商いの町としての基礎を築いています。地名の由来が掲げられているので、それを見ながら歩いても楽めます。

 

ところで、ヴォ―リーズメンソレータムで有名な近江兄弟社の創業者のひとりです。そして、関西学院大学神戸女学院など多くの学校や教会などに西洋建築を残した建築家でもあり、キリスト教伝道師でもありました。

旧八幡郵便局

 

旧八幡郵便局は1階のみ無料で見学ができました。丸みを帯びたアーチ状の廊下などが、いかにもヴォ―リーズ建築。

 

柔らかい光が入るガラス窓も素敵。そういえば2年前のGoToのときに、神田駿河台にある山の上ホテルに宿泊しましたが、ヴォ―リーズ建築でした。

fuwari-x.hatenablog.com

 

その隣にあった雰囲気のいい建物は酒游館という西勝酒造が展開するレストランだったようですが、開いている様子はありませんでした。

 

旧ヴォ―リーズ邸だった一柳記念館。こちらもアンドリュース記念館と、あとで行くウォーターハウス記念館と共に年に2回の一般公開中でした。

 

暖炉の煙突や両開きの窓などに洋風を感じさせる一方で、日本人の妻のために和室を取り入れるなど、使い手をいつも意識したヴォ―リーズ建築らしい配慮が見られるそう。

 

ヴォーリズ邸の裏手には学校法人ヴォ―リーズ学園近江兄弟社中学校・高等学校の校舎があります。

 

その中のハイド記念館は見学可能だそうですが、在学生が登校していたので躊躇ってしまいました。とても素敵な校舎で、こんなところに通えるなんて羨ましい。

 

急ぎ足でヴォ―リーズ建築を攻めていくと、これで東側の半分はとりあえず見られたよう。西側へ向かう途中で見つけたこちらは、旅籠 八...(わかつ)。畳屋だった建物をリノベーションした1泊2名で10万円超の高級旅館です。

 

覗くに覗けない、でも覗かずにはいられない魅力的な造りでした。レストランかと思ったのですが、まったく人の気配がなくてこのとき真相はわからず。でも、とてもいい雰囲気でした。

 

さて、この旅籠 八...の後ろには八幡堀があります。近江八幡の観光では、ここの水郷めぐりが人気。桜と菜の花の季節がおススメです。

 

10数年前、子どもたちを連れてこの水郷めぐりをしています。

 

今でこそ美しい水郷ですが、一時は元の姿すら見えないほどヘドロが堆積し、蚊や蝿の発生源と不法投棄の場所となり果てていたそうです。国による埋め立て予算も計上されていた中、地元青年会議所が県と折衝を重ね、自主清掃活動を行い、やがて共感の輪が広がり復元することができました。

 

美しくなった水郷ではじまった水郷めぐり。運航会社によってコースはいくつかあるのですが、手漕ぎ船の場合は葦の群生地帯を通るときに風の影響を受けやすく、強風の日は運休します。私が予約した日も風が強く、直前まで出航するかどうかわかりませんでした。

 

記憶力に難のある私ですが、ここへ立ったときにはっきり思い出しました。乗ったのはここだったな、と。しかも、乗船中に近江牛のすき焼きをいただくコースだったので、水郷を楽しむというよりは、ひたすら食べていました^^;

 

ヴォ―リーズ建築は思い出せることがなかったし、時間が足りなくて堪能できなかったけれど、懐かしい記憶が蘇りました。まぁ来てよかったんじゃないかな。

 

近江八幡といえば、和菓子で有名なたねややバームクーヘンのクラブハリエの創業の地としても有名ですが、当時はクラブハリエ 日牟禮館ができて割とすぐだったんじゃないかと思います。今回はすぐそばを歩いていたはずが見つけられなかったので、私の記憶にあるガラス張りの建物が日牟禮館だったかは不明ですけど。さらにもう少し足を延ばすと旗艦店のラコリーナもできていて、ここならではのデザートもいただけるみたい。

 

たねやよりも目ぼしい観光地をチェックしようとかわらミュージアムへやってきました。ここも入館料がいるのか。

 

建物の外には、八幡瓦を焼成するためのだるま窯が展示されています。

 

八幡瓦は、安土桃山時代八幡山城築城で製造が始められたのち、江戸時代以降は地場産業として300年以上続いたそうです。

 

かわらミュージアムは10棟からなり、瓦だけでなく町の景観に溶け込むよう作られており、季節の草木も多く植えられています。また、敷瓦に工夫が凝らされていたり、建物のあちこちに飾り瓦も配置されているようなので、いろんな楽しみ方ができるようですよ。

 

さて、これより近江商人の信仰を集めたという日牟禮八幡宮へ向かいます。