英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【滋賀】近江八幡でヴォ―リーズ建築を楽しむはずだった-後編

2022年(令和4年)10月

 

大阪伊丹行きの飛行機が格安で購入できたので、突如として決めた大阪行き。私は相棒とは別行動で、かねてから再訪したいと思っていた滋賀県近江八幡ウィリアム・メレル・ヴォ―リーズの建築群を見に来ています。朝から東海道線が遅延で、観光に充てられる時間はわずか2時間。しかも、帰りの電車も時刻表通りとは限らないので、早めに出発したほうが良さそうです。

到着時には既に12時を回っていましたが、食べたかった近江牛ランチに時間を割くと、それだけで目一杯時間を使いそう。まずは見られるものを見てから残り時間で食べることにしましょう。

日牟禮八幡宮へ向かいます。八幡山のすぐふもとにあり、ちょうど登山道がここにありました。標高はわずか271.9mなので、ちょっと登ってみたかったな。

 

こちらの拝殿は1188年源頼朝の命により造営されたもの。

 

本殿は991年創建。数年前の台風で鬼瓦が破損したそうですが、今はもう八幡瓦も製造されていないので銅製に替えられています。

 

本殿に続く渡り廊下の向こうに、なにやら立札が。

 

水たまりのように小さな鏡池があり、その後ろにある岩は鏡岩と名が付いていました。虚偽の心にて鏡に写すと池に没すと云うと書かれていましたが、どゆこと?沈むの?死ぬの?なんにしても怖い~ どれが真の心か虚偽の心か、自分でもわからないことってあるやん。

 

能舞台では舞と謡を奉納されているようでした。関係者がひとりデジカメで撮影していたので、以後の行事の予行演習だったのかな。

 

私は横から入ってしまいましたが、楼門はこちら。八幡山へはここから左手にある八幡山ロープウェイに乗っても上がれます。でも、往復810円だったらやっぱり歩いて上るよね。なんせ271.9mだもの。それでも眺望は素晴らしいようですよ。

 

裏からばかり攻めてしまった私は、最後に鳥居に到着しました。なってないな。

 

鳥居の向かいには八幡東小学校として建てられた白雲館があります。1877年(明治10年)、大半は寄付から建てられたということなので教育にも熱心な地だったのですね。西洋建築と日本の伝統技術を取り入れた建物です。クラブハリエ 日牟禮館は、鳥居をくぐったところにあるのに、なぜに見逃した?

 

白雲館から1ブロック向こうに近江兄弟社があります。

 

1905年(明治38年)に英語教師としてこの地に来たヴォ―リーズが暮らし始めた場所です。彼が赴任した滋賀県立八幡商業高等学校の校舎はのちにヴォ―リーズが設計し、1940年竣工後、今も使われています。

 

そのヴォ―リーズさんは近江兄弟社の前にいらっしゃいました。

 

優しそうな眼差し。でも、ちょっとばかり短足じゃなかろうか(笑

 

ここから先はしばらく近江商人の町並みを見て歩きます。旧西川家住宅は、蚊帳や畳表などの商いで財をなした近江商人西川利右衛門の家。

 

続いて旧伴家住宅。やはり、蚊帳やイグサで作ったゴザ、麻織物で富を成した伴蒿蹊(ばんこうけい)邸で、江戸と大阪に店舗を持つ豪商でした。

 

伴蒿蹊は学問にも興味を持ち、本居宣長上田秋成与謝蕪村らと親交のある国学者でもありました。明治維新等の激動期に逆らえず終焉したのち家屋は八幡町に譲渡され、小学校・役場・女学校と変遷しました。

 

向かいには、近江八幡市立資料館があります。ヴォ―リーズ建築だった旧八幡警察署をそのまま利用しています。

 

残すヴォ―リーズ建築は池田町洋風住宅街。ヴォ―リーズ夫妻も住んだことがあるアメリカ開拓時代を象徴するコロニアルスタイルと呼ばれる建築様式の住宅です。

 

ダブルハウスと呼ばれ今も現役で住まいとして使用されていますが、もともとはアメリカ人スタッフに向けて大正時代に建てられたヴォ―リーズ初期の作品です。

 

このモダンな造りにヴォ―リーズ建築とくれば、近代においては多少暮らしにくいことはあっても、こだわりのある人がそれを楽しんでいることでしょう。

 

隣にはウォーターハウスがあります。ここも年に2回の公開時期で、2022年秋の入館料はアンドリュース記念館・ヴォ―リーズ記念館・ウォーターハウス記念館の3ヶ所1,000円。

 

ウォーターハウスはヴォーリズに出会いその人格、働きに共鳴し、近江での伝道に協力するため尽力した人物です。建物は3階建て11室でビルトインタイプの暖炉が5箇所、煙突が2本など規模が大きい建物で、2008年に近江兄弟社が修復し当時の美しいヴォ―リーズ建築を蘇らせており、外観から想像するよりもずっとシックで落ち着いたインテリアなようです。

 

同じ敷地の隣には吉田悦蔵邸があり、今も4代目がお住まいです。吉田悦蔵はヴォ―リーズの教え子で、のちに近江兄弟社の創立メンバーにもなった人物です。

 

最後に、思わず目を惹かれた建物は八幡小学校

 

調べてみると設計者は田中松三郎とありましたが、大正期に建てられた校舎のイメージを残すため、現在の耐震基準に合わせてRC構造にし、壁も木造ではなくモルタルによる下見板張り風に仕上げて建て替えたそうです。

 

八幡公民館もこんな素敵な造りでしたから、近江八幡市というのは町に沿う建築物をとても大事に考えているのでしょう。

 

その割に、近江八幡駅の駅舎には特色がなくてちょっと残念だったかな。

 

さて。とうとうランチにあぶれたまま近江八幡を離れることになりました。電車の本数と遅延を考えると、落ち着いて食べられるほどの残り時間がなかったのです。三条京阪から四条河原町へ歩く途中、初めて先斗町を通ってみました。かつて市井の人が気軽に通れる場所ではなかったはずが旅行者で溢れ、安価な飲食店も軒を連ねており、すっかり観光地化していました。

 

そしてなんと私のランチは、京都河原町高島屋地下で買った下鴨福助の花てまり弁当1,404円。これも電車までの残り時間わずかでなんとか買い求めた一品です(涙

 

しかも食べられたのは出発まで1時間を切っていた伊丹空港ANAラウンジ。

 

救いは各種飲める生ビール!!!まぁ、お腹もすいていたし、美味しかったけどね。

 

お土産を買おうとANA FESTAに寄りましたが、まだ夕刻と言える時間にお土産といえるものはほぼ売り切れ状態でした。

 

コロナ禍で在庫を抱えない工夫も必要なのでしょう。このごろデパ地下でも夕方の品揃えがぐっと減ったことを感じます。でも、そのほうがふつうの姿ですよね。

 

駆け足で回った近江八幡。隣の安土駅にも足を延ばし、安土城跡を上ることも目論んでいました。もう再訪はないかなと思っていましたが、帰宅後に落ち着いてくると、次回はヴォ―リーズ建築を巡るツアーに参加してみたいと思ったりしています。1600もの建築物を遺したヴォ―リーズ。探し求めて各地を歩いてみるのもまたいいかもしれません。

また、近江八幡は新幹線で米原駅から乗り換えるのが一般的ですが、伊丹空港からも1時間40分ほどでアクセスでき、思いのほか近いです。ぜひ、近江八幡観光物産協会のサイトから観光モデルコースをご覧になってみてください。いろんな視点での近江八幡が見つけられると思います。