2021年(令和3年)9月
特典航空券で臼杵へふぐ料理を食べに来ています。
前回はミシュラン店である料亭での食事レビューを書きました。
食事のあと、臼杵の城下町を散策したのでご紹介します。
料亭 山田屋を出るとすぐに臼杵城址がそびえています。見えているのは畳櫓(たたみやぐら)。一階と二階の床面積がほぼ同じという総二階造りが特徴の重箱櫓と呼ばれる形状の櫓です。
臼杵城は、戦国時代大友宗麟によって建てられた丹生島城が前身で、お城のある丹生島は明治に埋め立てられるまで、北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地で繋がるのみという天然の要害をなしていました。モン・サン=ミッシェルみたいですね。その姿、見てみたかったなぁ。
お城の手前に像が見えますが、吉丸一昌像です。
早春賦の作詞者と言えば思い出す人も多いことでしょう。旧臼杵藩の貧しい下級武士の子として大変な苦労をしながら学業を続け、東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)で教鞭をとったのちに東京音楽学校教授となりました。
この早春賦は、安曇野一帯の早春の風景を謳った歌とされ、現地にも歌碑が立てられています。作曲は中田章。中田章の三男は夏の思い出、小さい秋みつけた、めだかの学校などの作曲で知られる中田喜直です。
正面に見えるのは、2001年に復元された二の丸大門櫓。
ちなみにこの駐車場は大分銀行臼杵支店の敷地ですが、店舗の造りが渋いですよね。
旧臼杵藩主 稲葉家下屋。廃藩置県に伴って東京へ移住した旧藩主稲葉家の臼杵滞在所として、1902年(明治35年)に建築されたお屋敷。
隣には臼杵市子ども図書館があります。これは臼杵出身の実業家、荘田平五郎が大正時代に寄贈した図書館の建物を再生したもので、木造りの温かい雰囲気があります。荘田平五郎はキリンビールの名付け親だそうですよ。
道の先には臼杵八坂神社の鳥居と参道。素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祭神とするこちらの神社も祇園様として地元に親しまれているようです。京都の八坂神社の流れを汲んで祇園様かと思っていたら、そもそもスサノオを祭神とする神道の信仰を祇園信仰って言うんだね。知らなんだ。
臼杵の城下町はとてもコンパクトで、徒歩でくるっとまわれます。ちょうど中心部にやってきました。
こちらは1868年(明治末期)に完成した㈱久家本店 (くげほんてん)の酒蔵で久家の大蔵と呼ばれ、現在は改修されギャラリーとして開放されています。現在の久家本店は車で5分ほど離れたところに移転していますが、特別純米無濾過生原酒「USUKI」を購入したかったのに、お店にも行けなかったし、ほかでも見つけられませんでした。残念。
ポルトガルのタイル、アズレージョで装飾された壁画は2000年に完成したもので、大友宗麟時代の臼杵とポルトガルとの歴史の経緯が描かれています。
制作したのは、ポルトガルの著名なアズレージョ作家・ロジェリオ・リベイロ。この中の1枚にはキリシタン大名として有名だった大友宗麟の洗礼のモチーフもあるそうです。
建物は、半間ごとに二階部分まで達する通し柱を建てており、臼杵城の畳櫓等でもみられる近世の城郭建築の影響を受けているようです。
中には、2007年8月公開の大林宣彦監督の映画「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」の竹宵のシーンの写真が飾ってありました。私は観ていませんが、ご覧になった方なら印象的なシーンだったかもしれませんね。
映画のシーンにも見られるサーラ・デ・うすきは、臼杵の資料を展示するギャラリーや交流ホールになっています。
臼杵のお土産も売っていました。やっぱりかぼすが中心ですね。
建物を突っ切っていくと向こう側には広場があり、ぐるりと建物で囲まれています。
こちらの建物は、2021年7月17日にオープンしたばかりのリーフデカフェ。
さらに向こうの建物には、2020年11月1日にオープンしたというカフェ、スズムギ marketがあります。いずれも移住者が出店したお店です。
先へ進みましょう。臼杵川中洲には、フンドーキン醤油の工場があります。コロナ禍で見学中止でしたが、醬油工場では「世界一の木樽」、味噌工場では「四万十杉の味噌樽」が見られるので、再開が待ち望まれますね。
フンドーキンはこちらの小手川酒造から分家して起こした会社。
焼酎の蔵元と思っていたので寄りませんでしたが、山田屋で飲んだ日本酒宗麟は小手川酒造の銘柄でした。見学に行くと丁寧に説明してくださるようです。
向かいには小手川商店。小手川酒造から分家して醤油と味噌づくりを始めるため、当初こちらで創業しました。代々、創業一族の小手川家が受け継いでいるようですね。2021年の今年は創業して160周年です。
隣には野上弥生子文学記念館があります。どうして隣にあるのかと思っていたら、野上弥生子の旧姓は小手川ヤヱ。フンドーキンの創業家に生まれ、東京帝国大学で夏目漱石に師事した野上豊一郎と結婚。その縁で夏目漱石門下となり、作家デビューを果たしています。野上豊一郎も臼杵の出身で、のちに法政大学総長を務めています。
お店の建ち並ぶ通りへやってきました。こちらの可児醤油 鑰屋(かにしょうゆ かぎや)は、フンドーキンよりもはるか昔の1600年(慶長5年)から400年以上続く老舗の醤油屋さんです。みそソフトクリームが人気。
でも、私の目当てはお味噌。東北や長野のお味噌はどうも塩味が強い印象があるのですが、九州のお味噌はマイルドなんじゃないかと期待して、赤白ミックスのお味噌を買いました。
旧稲葉家長屋門。この長屋門は江戸時代、臼杵藩主稲葉家の分家の門でした。長屋門とは両側に家臣等の住む部屋を持つ門の様式ですが、臼杵藩では家老やそれに続く重職の家来にしか許されませんでした。
この付近は寺社が密集する場所なのですが、臼杵市内には寺院が37ヶ所、神社が83ヶ所あると言われています。寺院はほぼ市内の中心に建てられており、ここからはお寺が続きます。
こちらは、鐘楼と山門が一体になっている鐘楼門が一際目を引く浄土真宗善正寺。
続く浄土真宗善法寺は1334年創建。真宗の寺としては九州最古のひとつだそう。
旧臼杵藩士斎藤家屋敷。斎藤氏は美濃国(岐阜県)出身で、はじめ筑後の有馬氏に仕えていましたが、のちに150万石で召し抱えられ、臼杵に住むようになりました。
日蓮宗法音寺。1602年(慶長7年)臼杵城の城主稲葉一通がたら(小倉城の城主細川忠興と明智光秀の娘、細川ガラシャのあいだに生まれた娘)を正室に迎えるにあたり、その菩提寺とするために建立されてました。世界各地に仏舎利塔を建立した日本山妙法寺の藤井日立が出家した寺としても知られています。
旧浄土真宗真光寺。真光寺の移転に伴い町並み散策の無料休憩所として開放されています。
道で会った地元の人に、ここの2階から写真を撮るといいと勧められて入りました。
どれどれ、ここですか?
正面の窓から切通しと呼ばれ臼杵の町並みを代表する二王座歴史の道を撮りました。
右側の道から撮ったのがこちら。勧めてくださった方、こんなアングルでよろしいでしょうか?
上の写真でも石垣が見えますが、階段下から見ても立派な石段と門構えが目を引きます。旧片切家屋敷。幕末に臼杵藩随一の剣豪として知られ、西南戦争も臼杵の戦いで戦死した片切八三郎の屋敷です。
臼杵城へも寄ろうと思っていましたが、まだまだ回復途上の足はそろそろ限界。1本早い電車で帰ることにしました。
20数年前に臼杵の石仏を見に来ていますが、臼杵の城下町にはまったく覚えがありません。記憶力のいい相棒も覚えていないと言っていたので、きっと大分駅からバスに乗ったか、石仏だけ見て帰ったのでしょう。屋根で覆われ、人工的だったのが残念だったことは覚えていますが、致し方ないのでしょうね。
料亭 山田屋は大分駅にも支店がありますが、城下町の見学に臼杵へ足を延ばすのがいいと思います。私はふぐちりがコロナ対策でお椀仕立てだったことを残念に思いましたが、相棒は美味しかったのでまったく問題なしという感想でしたし、きっと近いうちに元通り提供されることでしょう。いずれにせよ、早く安心して出掛けられるようになればいいですね。
次回記事はこちら。