英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【スペイン】世界遺産トレド旧市街「もしスペインで1日しかないなら迷わずトレドへ行け」

2024年(令和6年)1月4日(木)

 

年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。今は2ヶ国目のスペイン滞在中。前回はピカソの代表作、ゲルニカを観にソフィア王妃芸術センターを訪れた話を書きました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

マドリード拠点の観光も残すは1日。チャマルティン駅から中心部に近い場所にホテルを移動しましたが、そこまでこの界隈で過ごさなかったので、あのまま同じホテルに泊まっていた方が良かったかもしれません。それでも、マドリード-アトーチャ駅に近いホテルに移動したのは、トレドへ日帰り観光するためでした。なんといってもトレドは「もしスペインで1日しかないなら迷わずトレドへ行け」と言わしめる場所なのです。

 

アトーチャ駅で地下鉄を降り、国鉄駅へ向かいます。なかなかこれが難しい。長距離列車の乗り場へ行くと、1時間に1本走っているはずのトレドの文字が見当たりません。

 

聞いてみると、近郊列車の乗り場が別にありました。手荷物検査がどこでもふつうに行われています。

 

ヨーロッパの鉄道によくあるように、手荷物検査を受けてもまだホームがどこかは決まっていません。本当に直前になってようやく表示されるので、ぼっとしていられない。

 

トレド行きもセゴビア行きと同じで運賃は定額の11.1EUR(1,785円)

 

トイレも完備でとりあえず車内も清潔と言っていいと思います。

 

座席は中央だけが4人掛けで、あとはこの向きに倣った方向に固定されており、座席の向きを変更することはできません。

 

アトーチャ駅からトレドまでは30分ほど。

 

素晴らしいのがまず駅舎。ムデハル様式の駅舎はイスラムの香り。

 

馬蹄形のステンドグラスから差し込む光が美しい。タイルの青もイスラム

 

外から見るとステンドグラスの色はまったく見えないので、あんなにも華やかな駅車内が不思議なぐらいです。スペインってほんとヨーロッパでもイスラム色が濃く異色。

 

駅舎全体を見ると時計台もあります。ここからトレド旧市街までは徒歩10分ほど。

 

2階建て観光バスで巡る乗り降り自由のトレドシティーツアーに参加することも可能です。

 

徒歩で旧市街へ向かうとタホ川の蛇行に囲まれるように聳え立つトレド旧市街。

 

ひときわ高いところに見える四角く囲まれた尖塔を持つ建物はアルカサル。3世紀のローマ帝国時代に宮殿として建設された建物で、今は軍事博物館として公開されています。

 

タホ川の先には旧市街と対面するようにトレドのパラドールがあり、絶好の展望箇所になっています。

 

タホ川を渡すアルカンタラ橋。まだ開店前のクリスマスマーケットが並んでいました。

 

旧市街へ入る門です。

 

馬蹄形の門を抜けて歩いて行くと、いくつか分かれ道がありました。

 

アルカサルへ行くには左のルートを通ると近いのですが、GoogleMapでは高低差もあるのでいまひとつわかりにくい。

 

前を歩く人に連れられるように右側の階段を上がってしまいました。

 

そこから広がる風景を眺めていると、向こうにある建物が気になりGoogleMapで探してみました。

 

向こうに見えるドームのある建物はタベーラ施療院で、カスティーリャ王アルフォンソ10世の系列であるメディナセリ公爵家にゆかりの建物で、今は所蔵するエル・グレコなどの絵を展示する博物館として公開されているらしい。近くにはトレド闘牛場もあり、旧市街だけでなくそこここに見どころがあるのが、さすが世界遺産数5位というスペインの凄さ。

 

栄えた都市でも、隣接して農地があったりさもなくば荒野となっているのも特徴で、住宅地を拡張していかないので、いつまでも古くからの景観を保てるのでしょう。

 

ちなみに、途中で左折した場合は、もう少しなだらかな階段を上ります。

 

修道院の建物の脇から上がっていくとサンタクルス美術館へも行けたようだけど、私たちはアルカサルすら素通りで戻ってしまいました。

 

こちらの道を通った場合は、対岸が見渡せます。向かいに見える建物はサン・セルバンド城(Castillo de San Servando)で、現在はユースホステルとして利用されています。

 

帰りにホステルへの坂道を上ってみましたが、小雨が降ってきたので途中で引き返しました。でも、アルカサルがさらによく見えたので、パラドール方面にあるミラドール展望台とはまた違ったトレド旧市街の展望台としても利用できるかもしれません。

 

さて。観光の中心となるソコドベール広場に到着しました。残念ながら、トレド大聖堂とアルカサル以外には特に何を見るべきか調べずに来ています。歩けば自ずとわかると思っていたのです。

 

そんなわけで、建物の重厚さに釣られて私たちが入ってしまったのは図書館。手荷物検査を受けて入ったものの、ごくふつうの図書館でトイレだけをお借りして失礼したのでした(笑

でも、重厚だったはずなんです。ここはアルカサルの一部だったのよ。今の今まで気づいていなかった私、どおりで人がたくさんいたはずだわ。アルカサルからはもっと離れた場所にいると思い込んでしました。

 

11時予約のトレド大聖堂。狭い路地から見えている尖塔がそれかしら。

 

ぐるりと大聖堂を取り囲む塀に沿って歩いて行くと、入口を見つけました。でも、ほとんど観光客はいないし、入口には物乞いもいる。んん?入ってみるとここは「時計の門」と名付けられた裏口(でも時計は止まっている)。一応内部が見られるようになっているので、入場見学しない場合はこの裏口を探すといいです。

 

入れるのは柵で囲まれているところまで。主祭壇などは見えませんが、リブ・ヴォールト天井や中の雰囲気はわかります。

 

正面を探しながら通りを歩いていると、武器を扱うお店がいくつもありました。トレドは刃物の町として有名で、中世の雰囲気のする剣や盾などがお土産として売られているのです。それにしても人物が生々しい。

 

トレド大聖堂への入口は、市庁舎前にあるその名も市庁舎前広場(Plaza del ayuntamiento)の脇道から。

 

開催中のクリスマスマーケットでは、私の天敵であるBACALAO(鱈の塩漬け)も山積みだったよ。

 

もうすぐ11時。今回のスペインでの大聖堂はマドリード、クエンカ、セゴビアに続き4つ目。スペインのカトリック総本山のカテドラルです。

 

入口はその角を曲がったところ。この入口の彫刻には最後の晩餐が描かれていて必見だったのに、見落としてたんだよね。でもま、とにかく入るよ。

 

【スペイン】首都マドリード ソフィア王妃芸術センター「ゲルニカ」

2024年(令和6年)1月3日(水)

 

年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。今は2ヶ国目のスペイン滞在中。前回はマドリードに戻って移った2軒目の5つ星ホテル「Hotel Villa Real」の宿泊記を書きました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

小雨の降る日夜、ピカソの代表作のひとつゲルニカを見にソフィア王妃芸術センターへ向かいます。マドリードにはいくつもの美術館があるのですが、いくつかは無料で開放している時間帯を設けていて、この美術館は19時からの2時間が充てられています(日曜日12:30-14:30)。ホテルからは徒歩15分ですが、地下鉄10回券もあるので1駅だけど乗車。

 

マドリードでの電車はどれも乗降時には自分で扉を開けなければならないのですが、この電車の場合は取っ手をスライドさせるタイプ。

 

駅構内には既に所蔵の作品があちこちに貼ってあるので、美術館巡りが好きな人ならテンションの上がる空間になっています。

 

ところが。19時の到着では遅過ぎたらしい。既に長蛇の列どころじゃないのです。センターの前は広場で冬季はスケートリンクが設置されているのですが、それをぐるりと3/4周囲んで並んでいるではないですか。

 

相棒は行列が嫌い。しかも入場料を払えば並ばずに入れる時間帯があるならそうしたいタイプ。でもこの日しか空き時間はないし、ましてや全館鑑賞するタイプでもありません。

 

20人ずつほどが許可されて入場していきます。不機嫌な相棒をよそに待ち続けること1時間。寒い寒い中、ようやく入場です。

 

チケットはそれぞれ違うものが渡されます。スペイン人画家Ángeles Santosと、ペルー人アーティストMaría María Acha-Kutscherの作品。

 

さて。ゲルニカの場所はどこ?2階ということはわかっているのだけど。そもそもどこから上がればいいのかも謎。でもこういうときは、まわりの方がよく知っているのでついて行くのが近道。

 

ああ、ゆっくり見られたら楽しそうだな。

 

1937年 死んだ子供を持つ母親(I)「ゲルニカ」あとがき

 

1937年 ハンカチで泣く女の頭部(I)「ゲルニカ」あとがき

抽象画って不可解だよね。3次元を2次元にしてと言うんだろうか、横顔も正面も立体的にじゃなくて平面に同時に描いちゃうから、こうなると聞いた覚えがるんだけど。

 

う、うわ。近い。一応ここまでってロープだったか張ってあったのだけど、すごく近くまで行けるのね。つい最近まで撮影禁止だったというピカソの代表作、ゲルニカ

 

1937年にパリ万国博覧会のスペイン館に出品するために生まれた縦349.3 x 横776.6 cmという巨大な作品。何しろ作品が大き過ぎて1枚では撮り切れない。

 

正面からでは到底人の頭が入って無理なので、端から攻めてみる。

 

これで一応全部入ったけど、これではわからない・・・

 

じっと見る。ただ、見る。

 

ほとんどの人が言葉を発することなく、ただ立っている。

 

ちょうど描かれた時代は、ドイツがヒトラー政権でスペイン内戦が起きていた時期。

 

ゲルニカの前での滞在時間は、わずか数分。

 

1929年 ダリの作品。作品名は伏字でお願いしますっていうものでした(汗

 

夜の街を散歩したいぐらいだったんだけど、相棒はそんな気分ではないだろうし。ブルーに光るのはたぶん、トロピカル・デ・アトーチャ庭園だったと思うのだけど。まだまだマドリードには見どころがたくさん。

 

オランダでハーグに泊まったとき、レンブラントフェルメール真珠の耳飾りの少女も見ずに帰ったことをとても後悔していたから、とにもかくにも今回は見られてよかったよ。

 

【スペイン】首都マドリード 5つ星ホテル「Hotel Villa Real」宿泊記

2024年(令和6年)1月3-4日(水-木)

 

年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。今は2ヶ国目のスペイン滞在中。前回は世界遺産セゴビア旧市街でのランチで名物の仔豚の丸焼きをいただいた話を書きました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

マドリードーチャマルティン駅へ戻ってきました。ホテルを移動する前に、スーパーでワインを調達。スペインは本当にワインが安く、2EUR(320円)なんていうのもふつうにあるの。日本でも500円以下の料理酒のようなワインもあるから、飲むにはどうかなとは思うのだけど。

 

トマトの種類の多さには本当に驚いたな。

 

りんごも種類が多いけど、どこが産地なんだろう。やっぱり冷涼な北部だよね。あとはユーロ圏だから他国からも入ってくるかな。

 

ルクセンブルクでも南国フルーツが揃っていたし、食文化の充実した国らしいスーパーマーケットでした。

 

魚介をよく食べるのも日本と通じるところがあるかな。右手前は海外でいつもハズレを引いてしまう私の天敵、BACALAO=鱈!!!そのうしろはアンコウだと思うのだけど、これも食べるのか。

 

ムール貝イカ。日本人と食文化は割と共通していると私は思います。だからこそ、クエンカのパラドールで食べられないものが出てくるとは想像だにしなかったのよ。

 

さて。ホテルで荷物を引き取ったあと、地下鉄に乗るのが正解でした。でも、空港へ行くときに空港バスか国鉄かを決めきれていなかったのと、クエンカから戻ってきたときに無料で乗り継げたので国鉄で次のホテルへ向かうことにしました。これが失敗。

 

クエンカは中距離か長距離の部類になるのでしょう。それに比べ、特急といっても30分足らずのセゴビアは近郊列車の括りになるのか無料にはなりませんでした。前回降りたと同じRecoletos駅で改札が開きません。外に警察官か警備員がいたので助けを求めると、端にあるインターホンを押して話すと良いと教えてくれました。地下鉄なら10回券が残っていたのに、この窓口で2.2EUR(351円)払うことに。これがここでの2度目のトラブル。でも、こんなのはたいした話ではありません。

 

駅からプラド通りを南下してシベーレス広場まで来ました。出発日のフライトが早朝で、空港バスの始発がこの広場にあるバスターミナルだったので、下見をしたかったのです。バス停はいくつもありましたが、空港行きはたぶん北西の角。

 

この立派な建物は1917年完成したコムニカシオネス宮殿と呼ばれる旧中央郵便電話局で、今はマドリード市庁舎となっています。1777-1782年にかけて作られたシベーレス噴水も見えているんだけど、はっきりしないのが残念。プラド通りとそれに沿って建つプラド美術館やレティ―ロ公園などを含めて世界遺産に認定されているのにな。歴史、自然、芸術を調和させた計画都市という点で評価されたのだそう。

 

駅からホテルへは18分と書いてありましたが思った以上に遠く、相棒がすっかり不機嫌になってしまったのが誤算。地下鉄でも最寄駅が3駅あるのに、どれも6,7分はかかるという中途半端な場所。今回はこちらも5つ星のHotel Villa Realを予約しています。ざっくり言うと中心部のSol駅の隣駅付近。

 

クラシカルなホテルですが、その分、全体的に暗め。

 

部屋も暗め。そして部屋には段差があるの。これが難点で。

 

上段はベッドルーム。

 

下段がリビングルーム

 

サイドテーブルにはコーヒーの用意。センターテーブルはガラス製。

 

とにかく暗いの。つるつるの光沢ある独特の鏡面仕上げの家具って、なんて言うんだっけな。全然好みのインテリアじゃない。

 

ほら、あのクローゼットの鏡面がすべてに通じているの。薄暗い部屋でつるつるで、冷たい感じ。しかも寒い中を長々歩いてきて相棒も不機嫌だし、部屋に入ればもっとテンションが下がるしで、最悪。

 

たぶん、クローゼットはここだけだったんだと思う。スリッパはなかなか良質でした。

 

冷蔵庫においてはどこにあった顔記憶なし。金庫があるならクローゼットの中だったのかな。ドアのそばだったかも。スペインではどこもドリンクが入っていました。

 

洗面所はツインボウルなのはいいんだけど、ビデがそばにあるのでふたつあっても立てないという謎。

 

ほら、これね。立つほどの空間なし。しかもこのトイレットペーパーの位置も大弱り。

 

それでもツインボウルの色が違うということは、お手入れをして取り換えているのでしょう。

 

アメニティは、ネイルケア・シューミット・シャワーキャップ・バスソルト・バニティセット(開けていないが綿棒とコットン?)・ボディローション。

 

シャワーヘッドは可動式で問題なし。

 

翌朝の朝食も続けます。

2泊朝食付きでしたが、2日目は早朝発なので食べられず。でも朝食をつけたほうが安いという奇妙な料金設定があったのでそちらで予約。それでも65,320円という今回の最高値でしたが、マドリードの中心部だから仕方がないよね。

 

朝食会場は7時半からだったと記憶しています。一番客でした。平日なのにほんとみんな遅い。

 

鏡張りなので奥行きのある雰囲気に仕上がったレストラン。お好きにどうぞという雰囲気ではありません。

 

なるほど、ここはハーフビュッフェなのね。今回はクエンカのパラドールもこのスタイルでした。

 

ハムやチーズなど、ヨーロッパお決まりの品揃え。違いは種類ぐらいね。

 

野菜やフルーツもあるのは高ポイント。でも、私たちしかいないので、視線が注がれていてなんだか取りにくい。

 

スイーツもあったのに行き着かなかったのには理由がある・・・

 

これです。オーダー式のメニュー。

 

相棒が頼んだオムレツは良かったの。

 

私の頼んだポーチドエッグが大問題。だってこの量なんだもの。卵はふたつ来るかもという予感はあったんです。いつもそうだから。確認すればよかったのに、再度のベーコンなども付けてくれたので、これをこなすのに精一杯。

 

ただし、良かったのはCAVAがあったこと。注ぎに来てくれるので2杯のみにしたけれど、それでなんとか食べ切れたよ。翌朝も食べられなかったのは残念でした。BOXを聞いてみるべきだったかなと思います。ただこのホテルのフロントがいまひとつだったのもあって、尋ねる気になれませんでした。前泊を思うと残念な2日間だったかな。

jp.hotels.com

 

【スペイン】世界遺産セゴビア旧市街「Asador David Guijarro」で名物仔豚の丸焼き

2024年(令和6年)1月3日(水)

 

年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。今は2ヶ国目のスペイン滞在中。前回は世界遺産セゴビア旧都市の構成要素のひとつ、約2千年前に建てられたローマ水道橋をご紹介しました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

セゴビアでの最後はランチ。レストランの予約は13時半です。開店時刻がその時間でした。セゴビア大聖堂へ行く道すがらに位置しているのは確認済み。

 

階段下に赤い庇が見えますが、そこがお店。メイン通りから階段を下ります。

 

パッと見ると住宅地で、きちんとチェックして行かないとレストランの存在には気づきにくい。もはやGoogleMapは必須です。

 

オンライン予約をして行ったのですが、はじめは満員だから13時半しか予約できないと思っていたのです。でも、何度通っても人の気配がなかったので少なくともこの日は13時半が開店時刻。

 

セゴビアの名物、仔豚の丸焼きが評判だというAsador David Guijarroです。

 

13時半になる少し前に覗くと、すでに数組が来店していました。

 

地下の席へ案内されます。今回はメニューも事前にGETして翻訳し、準備万端。

 

ランチメニューは一択。前菜、メイン、デザートの構成で29.9EUR(4,800円)。ボトルワインがついていると書かれていたので高くありません(飲み物は水のみの24.9EURもあり)

 

右奥の壁に建物の写真があるところがトイレ。

 

食事の前のご紹介でごめんなさい。あとで入ったけど今回の旅行で便座なしのトイレはありませんでした。

 

まずパンとミネラルウォーターが運ばれ、メニューからそれぞれチョイス。

 

メニューは季節によって変わるのか、今のものは違っていました。英語訳で載せておきます。

 

というのは、日本語訳にするとめちゃ変なの。喫煙者からってなに?スペイン語では「De Nuestro Ahumador」と書かれていたけど、それもよくわかりませんでした。燻製かと想像したんだけど、でもハンバーガーだしなぁ、と。

 

現メニューの豆のスープやポーチドエッグは、画像でも紹介されているので定番なのでしょう。当時は「Empanadilla de rabo de toro y chipotles con arena de mantequilla」というメニューがありました。翻訳によると「牛テールとチポトレのパイ バターサンド添え」でアンダルシアの郷土料理ラボ・デ・トロのパイ包みだろうと想像します。出てきたときには自分が何を頼んだかも記憶から抜け落ちていましたが、揚げ餃子みたいなものでした。油がいまひとつなのか3個も出てくると多過ぎだったことは覚えています。

 

相棒はおそらく「Ensalada templada de gambones y vieiras maceradas en anchote pan de arroz」と書かれていたものぐらいしか、該当する食材がありません。海老の入った生春巻きのようなものでした。こちらはアジアンテイストであっさりしていたのでOK。食器は蒸し器のように蒸気が出てくるようになっていて、真ん中のたれをつけて食べるスタイルだったと思います。

 

で、メインはこれがセゴビア名物の仔豚の丸焼きCochinillo asado(コチニージョ)。コチニージョを名乗るには、セゴビア産の生後3週間までの乳飲み仔豚で、体重4.5-6.5kgなどの厳格な決まりがあります。もし、それを感じながら食べていたら、なんとなくちょっとつらかったかも。柔らかくてジューシー、そしてこの量にしてボリューミーです。

 

もうひとつはたぶん、牛肉だったと思います。でもあんまり覚えてないの。というのは、他にはボトルワインが配られているのに、私たちだけグラスワインだったんです。言えば注いでくれたんだけど、それじゃペースを掴めないよね。ムッときてしまって楽しめませんでした。右手前に空のボウルがあるけどコチニージョについていたのかな、サラダも忘れられていたし。

 

デザートはこれも名物のPonche(ポンチェ)。シロップを含ませた生地にカスタードを挟んだセゴビア伝統のお菓子。

 

相棒はアップルパイにしていました。カスタードを挟んであって、ポンチェと似ているけどこっちもとても美味しかったです。甘みも抑えめ。

 

コーヒーは別料金2.2EUR。わからずにハイって言っちゃったパターン(恥

でもねぇ。私、ちょっぴり仕返ししてきました。実はルクセンブルクのホテルで50EUR紙幣100EUR紙幣は受け付けないとフロントに書いてあることを思い出していました。でも手元には、4年前娘が海外旅行から帰ってきた先輩にユーロ紙幣を両替してほしいと依頼されたときの高額紙幣があったのです。当時のレート1EUR=121円162円にもなっている今回使うべきだけど、使えるところがないなんて。でも合計62EURに対してだったら出してもいいよね、ここで出しちゃえ。

 

実際、このお店でも断られたんだけど、カードは持ってないと言って突っぱねました。スペイン語も英語も通じないし何を言っても無駄だと思ったんでしょう、たぶん、近くの銀行に走って行って確認したと思う。それぐらいは待たされました。斯くして、100EUR紙幣は手元を離れ、10,000円の食事代は7,500円換算となりました~

 

バス停から見るローマ水道橋。念願だったセゴビアに来られて満足です。もっとゆっくり街歩きもしたかったな。1泊ずつスーツケースを引いての移動を相棒は嫌うので断念しましたが、やっぱりセゴビアもお泊まり推奨です。

 

バスにも仔豚の丸焼きの宣伝が載っていました。食べさせる店はあちこちにあるようだけど、有名店はMesón de Cándido(メソン・デ・カンディド)。ここはコチニージョの柔らかさを証明するために、テーブルで切り分けるというパフォーマンスをするらしいです。

 

場所はここ。誰しもがそばを通る絶好の位置にあります。

 

鉄道駅までバスで20分2EUR。途中でコロッセオのような円形の建物を見かけました。慌てて撮ったけどちょっと遅かったです。19世紀初めに建てられたセゴビア闘牛場で、今も毎年6月末のお祭りのときに使われているようです。

 

Segovia Guiomar駅到着です。駅のまわりは笑えるほどなんにもない場所。

 

だってほら、隣は放牧地なんだもの。クエンカもそうだったけど、長距離列車の駅周辺が発展しないってことは、地元民は鉄道に縁がないってことなのかな。

 

元日でなければちゃんとタクシーも常駐しているようだし、バスに乗り遅れても荷物が多くても心配なし。

 

駅ではやっぱり手荷物検査があります。でも、乗客もそこまで多くないのでスムーズ。

 

15:57発でマドリードへ戻ります。

 

途中停車駅もなく30分足らず。旧市街まではバスに乗り換えるというのがネックだったけど、バスはピーク時には1時間3本出ているし早朝から夜遅くまで走っているので、ハードルは低いと思います。

 

これでマドリード・チャマルティン駅を拠点にするエクスカーションは終わり。まだマドリード滞在は続きますが、ホテルは中心部へ移ります。

 

【スペイン】世界遺産セゴビア旧市街 約2千年前建築「ローマ水道橋」

2024年(令和6年)1月3日(水)

 

年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。今は2ヶ国目のスペイン滞在中。前回は世界遺産セゴビア旧都市の構成要素のひとつ、ディズニー映画白雪姫のお城のモデルとしても知られているアルカサルについて書きました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

前回5年前のスペイン旅行でサン・セバスチャンからの帰路、セゴビアローマ水道橋に寄るかどうかとても迷っていました。でも、鉄道駅からバスに乗り換える必要があったので、断念したという経緯があります。満を持してのスペイン再訪、絶対に外せなかった場所です。ほとんどが橋の画像で終始するのであしからず(笑

バスを降り、念願のローマ水道橋を間近に見た感想は「意外と華奢」でした。このときは雨も降っていたので、素通りしてセゴビア大聖堂とアルカサルの見学に急いでいます。

 

そしてアルカサルの見学を終え、素通りしたローマ水道橋へ戻ります。スペインの建物はどこでも茶系。西欧の中でもイスラム色が色濃く異色です。

 

ここは回廊の扉と呼ばれ、旧大聖堂の門があった場所です。アーチの上にはキリストの横たわった体を抱きかかえる聖母ピエタの小さな彫刻が置かれています。

 

アーチから向こうにアルカサルの塔が見えます。

 

スペインの司教、十字架の聖ヨハネ像。後ろの建物の漆喰壁が美しい。

 

50m以上の高さを誇る鐘楼を持つサン・エステバン教会

 

広場ではストリートパフォーマンスが披露されていました。これがスゴイの。バイオリンを弾く指まで1本ずつ動かし、表情も豊か。素晴らしい演奏でチップを集めていました。

 

さて、ローマ水道橋まで戻ってきました。観光客が集まるPlaza del Azoguejo(アソゲホ広場)です。画像は前後しますが、まずは正面の階段を上って上からの水道橋を眺めに行きます。階段の左隣は観光案内所。

 

紀元前80年にセゴビアを制圧したローマ帝国は都市開発に着手し、その一環で作られたのがこの水道橋。ローマのコロッセオより少し後にできたと推測されています。恐るべき建築技術。

 

まずは中段からの長め。橋の先が坂になっているので橋脚の高さも違っているのがわかります。

 

上部まで上がってきました。石畳なので、雨のあとは滑りやすいので注意。

 

バス停のある東側からの眺め。水源のグアダラマ山脈の方角です。向かい側に見える階段へもあとで上がります。

 

さらに城壁を上がります。

 

もうちょっとで水道橋の水路が見えそうな位置。思い返してみると、この後方にももう少し水路が続いているので、気をつけていれば見えたのかも。

 

バス停のある広場が見えます。ちょうど帰りのバス停に青いバスが停まっているのが見えます。

 

階段を降りてきました。17km先のフリオ川から水を引き、ここが市街地への最終地点のようです。

 

城壁側と反対へ上がります。こちらはなだらかな階段。

 

石材は5kmほど離れたところで産出する花崗岩が用いられ、およそ2万個の石がモルタルなどの接着剤なしに積まれているのだそうです。そして、石の表面に残った窪みなどから簡単なクレーンも使われたと推測されています。

 

120本以上ある柱に支えられ、全部で166本(167本の表記のところもあり)のアーチで構成されていますが、徐々にアーチの高さが変わっています。

 

勾配1%で水を流す設計だったそう。レコンキスタで敗れ、セゴビアを撤退することになったイスラム勢力がこの橋の重要部であるアーチ35個を破壊したため使用不能になっていましたが、のちにイザベラ1世が修復を指示し、その後19世紀まで使用されていました。

 

アルカサルはエレスマ川とクラモレス川の合流地点に建っているので、水には困らなかったのでは?と思うのですが、セゴビア旧市街は急峻な崖の上に立っているので、当時はポンプなどで水を汲み上げる技術がなかったので、町と同じ高さの導水路を給水源から通すほかなかったということなのでしょうか。

 

展望だからこちら側までの直線で300mもの長さがあります。圧倒されるというよりは、逆にこの細さで2000年もの年月、崩れ落ちることがなかったの?という気がしませんか?

 

実はこのローマ水道橋は直線で終わりませんでした。曲がった先にまだ続くのです。

 

ガイドさんに解説を受けているらしいグループがいました。この人たちの背と比べると二重アーチの最後がいかに低くなっているかがわかると思います。

 

こちらは市民のための水汲み場かしら?などと想像しましたが、あれこれ調べても出てこないということは、ローマ水道橋とは無関係かも。

 

曲がった先に続くローマ水道橋。この先はすべて一重アーチですが、むしろこちらの方が長く、この先700m向こうまで続きます。時間があれば、そちらをスタート地点として歩いてきたら、到着したときに感慨深いんじゃないかな。

 

アソゲホ広場へ戻ります。東側は緩やかな階段でしたが、西側は車道なのでベビーカーでもOK。

 

水道橋がもっとも高いのがアソゲホ広場の位置で28.1mあります。

 

水道橋が曲がる位置と比べると、その高さの違いがよく分かります。上段がすべて同じ高さとすれば、下段は4つの区切りがある柱になっています。これを目安に見ると高低差がわかりやすい。

 

西側の下に十字架が置かれています。そしてその上段にスペイン国旗色が見えます。

 

国旗ではないのですが、スペイン色の布にくるまれた聖母マリア像が納められていました。ちょうどここだけ下段のアーチ上部も太くなっているのでそれが目印です。

 

ランチの予約があったので、少し駆け足の見学でした。セゴビアの名物は豚の丸焼きらしい。観光地でレストランに入ろうとすると満席だったり並ぶことが多いので、珍しく予約して行っています。次回はその話を。

 

【スペイン】世界遺産セゴビア旧市街 白雪城のモデル「アルカサル」

2024年(令和6年)1月3日(水)

 

年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。今は2ヶ国目のスペイン滞在中。前回は世界遺産セゴビア旧都市の構成要素のひとつ、セゴビア大聖堂について書きました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

セゴビア大聖堂を見学後、11時半に予約していたアルカサルへ向かいます。アルカサルという意味で、古代ローマ時代には既に要塞が建っていたという要所。

 

まずはアルカサル庭園に入ります。

 

1808年5月2日スペイン独立戦争の皮切りとなった大衆による蜂起(ドス・デ・マヨ蜂起)において、唯一スペイン軍からその蜂起に加わった部隊がありました。その2人の砲兵将校は今でも反乱の英雄として知られているのですが、彼らの死から100年を記念して建てられたのがこの像です。よく見ると、女神とも位置付けられるだろう女性が瀕死の彼らを抱えている印象的な像です。

 

正面がアルカサル。左手にチケットセンターとカフェがあります。オンラインで購入するほうが1EUR安く基本料金は6EUR、ファン2世の塔に上がる場合は9EUR(2024.3月現在)。

 

アルカサル庭園からセゴビア大聖堂を見ると、旧市街が高台の上に立ち、城壁が張り巡らされていることがわかります。

 

旧市街から外側を眺めると、穏やかでのんびりとした風景が広がっていることに驚きました。城下町のようにもっと周辺部も発達していると思っていたからです。真ん中には12角形が特徴的なIglesia de la Vera Cruz(ラ・ベラ・クルス教会)が建っており、アルカサルを眺める絶景スポットとして知られています。

 

ディズニー映画「白雪姫」のお城のモデルになったとも言われているアルカサル(ちなみに東京ディズニーランドにあるのはシンデレラ城)

 

中央が別料金で上れるファン2世の塔。152段もの階段をのらないといけないようですが、絶景は間違いないよね。

 

クエンカにも騎馬像があったカステーリャ王アルフォンソ8世(1155-1214年)は、セゴビアを奪取したあとこのアルカサルを主な住居としていたようですが、落雷や火事などにも見舞われ現在の姿になったのはずっと後のこと。

 

ファン2世の塔を建てたのは、建設継続に意欲的だったカスティーリャ王ファン2世で15世紀前半。18世紀後半にはスペイン王フェリペ2世が鋭いスレートの尖塔を追加しています。

 

時間通りに入場が許可されます。15分前でもダメだったわ。印象的な漆喰の外壁がよくわかります。

 

城に架かる橋さえ落とせば深い堀が阻んで中への侵入は許さない造り。

 

内部の案内図。HPから日本語のパンフレットも入手できますが簡易なもの。

 

まずは入場です。すぐに武器の広場があるのですが、入場者が集まってきているので素通りで先へ進みます。

 

旧王宮の間 甲冑装備の騎士と馬 

 

暖炉の間 薄暗い部屋だったのできれいに撮れませんでしたが、暖炉があります。フェリペ2世の時代に増築されました。

 

調度品は16世紀のもの。壁のブルーのタイルが美しい。

 

玉座の間 19世紀にアルフォンソ13世とヴィクトリア王妃のために作られたという玉座。外国大使館のレセプション、宴会、音楽演奏、文学イベントなど、さまざまな種類の政治儀式に使用された部屋です。

 

エンリケ4世のステンドグラス。エンリケ不能王などと呼ばれた、ちょっとかわいそうなエピソードの持ち主。

 

ガレー船の間 15世紀前半に造られたとても美しい部屋です。

 

ガレー船とは、主として人力で櫂(オール)を漕いで進む軍艦で、古代に出現し地形が複雑で風向きの安定しない地中海やバルト海では19世紀初頭まで使用されていました。屋根がガレー船をひっくり返したような形であることから名づけられています。

 

絵画はカスティーリャ女王のイザベラ1世のセゴビア大聖堂近くのサン・ミゲル教会で行われた戴冠式の様子。イザベラ1世はここでは美しく見えますが、あとで違う肖像も登場します(ちなみにイザベラ1世の父はファン2世)

 

スペイン独特の建築は、レコンキスタ後も残ったイスラム文化と融合したムデハル様式が多く見らえるところ。グラナダアルハンブラ宮殿が象徴するとおり、レコンキスタで宗教的には戦ったもののその文化をとても好んでいたんですね。

 

窓からは城外の景色が見渡せました。ここにも誰かが描かれたステンドグラスが入っています。

 

松かさの間 天井の模様がその名の由来です。どれも形状が少しずつ違うんだって。wikiでは「パイナップルの殿堂」と訳されていました。どっちも似たようなものだけど、テイストが違うような(笑

 

ステンドグラスはどれも歴代の王や王妃のようです。

 

王の寝室 ベッドには金で織られた金襴のカバーが付いています。壁に描かれているのは、カトリック君主の家族生活のシーンだそう。部屋の入口にあったネオ・ムデハル様式のアーチを見るべきだったんだけど失念。

 

諸王の広間 こちらも豪華絢爛な部屋です。アルハンブラ宮殿を模倣したそう。

 

壁上部にはアストゥリアス王国カスティーリャ王国レオン王国の歴代の王の彫像が並べてあります。

 

さまざまな支配者を座位で描いて装飾に組み込んでいるのは、15世紀のスペインの権力者の政治権力、支配、正統性の表現のためだったと言われています。

 

縄の間 部屋を囲む壁に取り付けられた長い金色のレースに由来した名前です。

 

アッシジのフランチェスコは「清貧の教え」を説いており、自らも履物を脱いで裸足となり、皮のベルトを捨てて縄を腰に巻いたという話があるのですが、賢王アルフォンソ10世が自らの慢心を悔い改めて縄の装飾を命じたという部屋です(その割に豪華だけど)

 

アルフォンソ6世とセゴビア司教が描かれています。

 

で、こちらが先ほど戴冠式の絵に描かれていたイザベラ1世。随分雰囲気が違うけど。こちらもタイルが美しい小部屋でした。

 

礼拝堂 縄の間からも覗き見れるようになっていました。イタリア人画家バルトロメオ・カルドゥッチ(1560-1608年)による「東方三博士の礼拝」が掲げられています。

 

礼拝堂の天井はこんな感じ。

 

武器の間 様々な時代の武器が並べられている部屋です。

 

日本の鎧兜も身動きがとりにくそうだけど、考えてみるとこちらも大変そうよね。

 

外へ出ました。王のテラスです。みんなが真ん中で覗き込んでいるのは井戸。

 

一応、今も水はあるみたい。

 

アルカサルはエレスマ川とクラモレス川の合流地点の上の急峻な崖の上に建っています。ほんとにうまく天然の要塞の地を活かすものですね。

 

ラ・ベラ・クルス教会の12角形が少し感じられる角度。アルカサルから20分ほどで歩いて行けるので、外からのアルカサルの姿を見るには絶好の場所。

 

アルハンブラ宮殿でも城内でいろいろなものを育てていたので、これらもたぶん果樹のはず。

 

美しい庭園はヘレリア様式と書いてありました。左右対称で幾何学的なのが特徴。

 

塔には入れません。でも、いかにもお城を感じさせる場所なので、写真を撮る人の順番待ちでした。

 

時計の広場 イスラム色を感じる漆喰です。

 

その名がつけられているのは、ここに日時計があるからです。最上段の窓のあいだに汚れて見えるのがそれ(笑

 

下にはカール1世の紋章があります。

 

最初に素通りした武器の広間へ戻ってきました。1587年フェリペ2世の指示で建てられています。真ん中に噴水があるパティオはスペインでよく見られるヘレリア様式。

 

ちょうどファン2世の塔の後ろ側に位置しています。まさしく中心部に位置し、祝祭と軍事の両方の祝賀会の舞台として使われていました。

 

王立砲兵学校博物館を見学します。

 

1764年にカルロス2世が設立しています。これなんかは大砲部品用掘削旋盤のモデルと書かれていました。なにそれ?

 

兵学校と言うからには、大砲の研究もしていたんでしょう。きっとこれが大砲のはず。調合の研究をしていたんでしょうか。

 

一方で弾丸は、まるで宇宙を表しているかのようにも見えました。18世紀から19世紀にかけての時代、産業革命を経て進歩を遂げていったことでしょう。

 

でもジオラマが表すように、大砲その他を馬に載せて移動していたんだね。なんと過酷だったことか。日本人的には、馬は騎兵を乗せるか農耕用のイメージだったな。

 

ショップにはスペインブルーの扇子や食器などがありました。扇子は16世紀にアジアからヨーロッパに伝わり、特にスペインでは女性の必需品だったんだって。特に暑い地だしね。

 

アルカサルはぐるりと三方から見ると、俄然その姿の素晴らしさがわかるはず。少なくとも正面からだけでは、奥行にかけての美しさがわかりません。本を手に取るのもおススメです。

 

セゴビア大聖堂、アルカサルと見学してきましたが、私にとってもっとも見たかったのは最後に見学したローマ水道橋です。世界遺産の構成要素が多いセゴビアは見応え充分。まだ続きます。

【スペイン】世界遺産セゴビア旧市街「セゴビア大聖堂」

2024年(令和6年)1月3日(水)

 

年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。今は2ヶ国目のスペイン滞在中。前回はマドリードでのフラメンコ鑑賞と、パエリアのディナーの話を書きました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

朝8時半のマドリード-チャマルティン駅。今回、チャマルティン駅近くで泊まったのは、ここからアクセスのよい近郊都市へ行くためでした。すでにクエンカへは訪れ、次はやはり世界遺産の旧市街、セゴビアへ向かいます。チャマルティ駅のホームへの降り口はあちこち分散しているので毎度混乱し、最後までいまひとつわかりませんでした。

 

セゴビアへも予約必須の特急で向かいます。ただ、クエンカと違い運賃は11.1EUR(1,785円)の固定で予約変更も可能です。本数は比較的多いのですが、8:50発のあとは10:15発なので、駅に到着してから切符を買うのは避けたほうが良いでしょう。車内は清潔。座席はほぼ埋まっていました。

 

途中停車駅もなく、約30分でSegovia Guiomar駅に到着。セゴビアもクエンカと同じく特急停車駅は旧市街から離れており、バスに乗り換える必要があります。

 

旧市街までは20分ほど。Avanza HPから時刻表と路線が確認できます。旧市街へ行くバスは11番と12番で、ほぼ同じ時刻に出発します。12番は中心より少し外れたところに停車するのでとても空いていました。でも、路線図で示す位置はGoogleMapでは12番バス停ではないのでなんとなく不安。ほとんどの人が11番バスに乗り込んでいました。

 

4人揃えばタクシーという手もあると思います。平日9EUR、休日12EURの固定料金なので、ぼったくられることもありません。

 

バスの運賃は2EUR(370円)と安価。私が見る限り全員が現金で乗車していましたが、カードも可能なようでした。

 

乗車20分、車内がざわざわとしたので降車すればよさそう。路線図ではいまひとつわかりにくいのですが、この駅は終点ではなかったはず。観光客が多ければ、たいして調べていかなくてもなんとかなるものです。

 

帰りのバス停を先にチェックしておきます。すぐにはわからなくて、あちこちで聞いて、ようやく青い標識のある場所だとわかりました。そして、ええ、そうです!!!ちらりと見えているのがローマ水道橋。でも、ご紹介はあとまわしにします。

 

小雨降る中、まずはセゴビア大聖堂へ向かいます。内部を見学しているあいだに雨が止めばとの目論見でした。

 

スペインではどこでも中心部の広場をマヨール広場と名付けているらしい。マドリードでもセゴビアでもそうだったように、ここにもマヨール広場がありました。

 

マヨール広場のそばに荘厳と建つのがセゴビア大聖堂です。先に見たクエンカ大聖堂とはまるで規模が違う!!スペイン反乱で壊されたあと、1525年カルロス1世が再建に着手し、なんと243年後の1768年に完成したゴシック様式の大聖堂です。カテドラルの貴婦人という異名も持つのも納得の美しい姿。

 

セゴビア大聖堂の予約もオンラインで終えています。こちらも拝観時間内であればいつでも入れます。セゴビア大聖堂は聖母マリア聖人フルトスに捧げられた大聖堂で、フルトスの門から入ります。門の上に立っているのがセゴビア守護聖人フルトス。

 

内部の案内図はこちら。クエンカ大聖堂ではわかりにくかった礼拝堂がどのように並んでいるのか、こちらのほうがわかりやすいと思います。真ん中に主祭壇、聖歌隊席、側廊に沿って各礼拝堂、そして中庭のある造りです。

 

側廊右側に並ぶのが礼拝、左側にはパイプオルガンが見えます。奥に歩いている人と比べると、かなり規模の大きい大聖堂であることがわかるでしょう。

 

パイプオルガン裏側に聖歌隊席が設けられています。ここでもそういえば、パイプが突き出していました。

 

通り過ぎてから振り返って天井を見上げてみました。セゴビア大聖堂の大きさは幅50m×長さ105m×高さ33mですが、思った以上に高くそして美しいリブ・ヴォールトが見えます。

 

ところで、前回のクエンカ大聖堂からこの記事を書くまでに、側廊に沿って並ぶ部屋が礼拝堂だと教わったのでさらに調べてみました。いまひとつしっくり理解できていないのですが、要は祀っているものが違うということのようです。また、大聖堂ではギルドも行われていたので、そこにも礼拝堂を置く習慣があったとも書かれていました。

 

受胎告知から始まる福音書の話のほか、その地の聖人を祀っていたりするのでしょう。たとえばこの礼拝堂は、スペイン彫刻の傑作とされる聖なる埋葬の祭壇画があり、横たわるキリストと嘆き悲しむ使徒らが描かれています。

 

こちらはX字型の十字架で処刑された伝承されている12人の使徒のひとり、聖アンデレが中央に描かれた聖アンデレ礼拝堂。そういえば、ヨーロッパの人名は聖人由来のものが多いんですよね。例えば、アンデレが英語でアンドルーはふつうとして、ペトロピーター(英)ピエール(仏)ピエトロ(伊)ヨハネジョン(英)や、ヨハンスハンス(独)ヤコブジャックジェームズ(英)といった具合に。

 

こちらも使徒ヤコブ礼拝堂と紹介されていました(この祭壇画の右側にあるドアから地下室へ行けると書かれていましたが、ガイドツアーだと入れるのかしら)

 

でも、アダムとイブの登場する創世記から旧約聖書は始まるはずで、ノアの箱舟の話を経て、どのようにキリストの話に続くのかさっぱりわからない私には、入口に立つのすら難しい。

 

ただ、キリスト教は文字だけでなく絵画で布教してきたということだけは理解し、興味を持って眺められているだけでも進歩というもの。この礼拝堂などは聖母マリアにまつわる絵画が天井まで埋め尽くされています。

 

こちらは、上からキリスト磔刑、下にキリスト降架が描かれ、床には横たわるキリストが置かれています。なかなか生々しい彫刻で、これ以上撮るのは難しかったのですが、どれをとってもクエンカ大聖堂の絵画にあったようなマッチョなキリストは見られません。

 

聖歌隊席の後ろ側、拝廊に配置されていたセゴビア守護聖人フルトスとその兄妹の祭壇。キリストや数人の使徒が描かれ、フルトスらの遺物などが保存されています。

 

ところでセゴビア大聖堂の礼拝堂もクエンカ大聖堂と同じく各礼拝堂に入ることができるので、豪華絢爛な装飾を見たのですが撮るのがなかなか難しい。例えば左の部屋が暗いのは非公開だからではなく、時間が経つと明かりが消える仕組みになっていました。

 

中に入って撮る分には問題ないのです。でも全体と撮りたくて外へ出ると10秒ほどで消灯してしまうので、どう撮ろうか迷っているとダメ。なかなかハードルの高い、でもエコ意識の高いセゴビア大聖堂でした。

 

聖歌隊席です。座席数はそう多くないように見えますが、合計116脚の椅子が2階建てに配置されているのだそうです。そしてこの聖歌隊の特徴は、聖歌隊全体を統括する司教の椅子とともに、王のための椅子が含まれていると書かれていました。「王」とは、当時再建を指示したカルロス1世のことでしょうか。それとも出来上がったころのカルロス3世と考えるのが順当かな。

 

聖歌隊席から主祭壇を見るとドーム状の高い天井が見えます。

 

キューポラや側廊のステンドグラスも見えます。

 

250年も前に建てられたとは思えないほど、すらりと洗練された柱。ステンドグラスからの明かりでやわらかく光が差し込んでいます。

 

主祭壇は見事な金色の装飾で埋め尽くされた聖母子が中央に配されています。

 

祭壇から聖歌隊席を見ると、左右にふたつのパイプオルガンが配置されていることがわかります。

 

セゴビアの最初の司教と言われている聖ジェロテウス(ゲロテウス)が中央に描かれている礼拝堂。歴代の祭服でしょうか。ともに飾られていました。

 

セゴビア守護聖人フルトスの礼拝堂には、中央のフルトスのほか、左右に彼の2人の兄弟も描かれていました。

 

最後に見た聖アントン礼拝堂は、セゴビアの司祭だった聖アントニオの家族が亡くなったとき、パンテオンとして贈られたものだそうで、彼自身の墓も作られています。

 

聖母マリアの生涯などが描かれているステンドグラス。大聖堂の中は明るい印象が残っています。

 

最後に。中庭を囲む回廊からは、絵画作品が展示されている地下回廊への入口があったようです。ちょうど黒い台の置かれている位置だと思います。なんとなく物々しかったので、近づきもしなかったのは失敗。事前準備の大切さを帰ってから感じることは毎度のことだけど。

 

回廊と中庭は、古い回廊を移設再建したものです。真ん中にあるのは古い井戸。落ち着いた美しい庭園でした。

 

セゴビア大聖堂には88mもの高さの塔があり、ガイドツアー付きで登ることができます7EUR。オーディオガイドは6ヶ国語。中国語と韓国語があるのに日本語はありません。ゆっくり訪れる人が少ないのかな。時間がなかったので上りませんでしたが、セゴビアの絶景が見られるはずです。

 

見学所要時間は、ここでも割にしっかり見たと思いますが30分でした。次は30分単位で予約時間が設定されているアルカサル(=城)へ向かいます。