英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【バルト三国】3日目-2 ラトビア首都リガ旧市街散策

2019年(令和元年)8月9日(金)

 

Wellton Centrum Hotel&Spaのスパークリングワイン付の朝食にすっかり満足して、リガ旧市街の散策に出掛けます。

昨日のレストランの傍にあるヨハネ教会の隣にお目当てのものがありました。

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こちらグリム童話ブレーメンの音楽隊。もちろん、ドイツのブレーメンが本家ですが、ハンザ同盟による親交で姉妹都市となり贈られたものだとか。本家ではロバの前足をなでるといいと言われていますが、こちらはどうやら鼻。みんな金ピカになっています。

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リガはネコちゃんの多い街でした。

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聖ペテロ教会はきのう見られなかった正面へ回ってみます。曇り空がちょっと残念。塔へ上がればリガの街を見渡せますが、負傷中の相棒の足はともかくまだ開いていません。

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リガといえばブラックヘッド会館が有名ですが、旧市街の道というのはどうも難しい。タリンと同じく、現在地がなかなか把握できません。

聖ペテロ教会の裏手には、こんなコもいました。

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リガはユーゲントシュティール建築群と呼ばれるアールヌーボー建築が有名で、世界遺産となっています。ここらあたりもそうかな?という雰囲気の建物がありました。

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見上げてみると、ほら、人の顔。リガの建物には人の彫刻が多く見られます。

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でも、なんか新し過ぎる・・・と思ってここを曲がってみると、探していたブラックヘッド会館の側面でした。ブラックヘッドとは、中世のバルト海沿岸諸都市にあった独身の貿易商人の集まりのことを言い、14世紀に建てられたブラックヘッド会館では、主にパーティーやコンサートが開かれていました。

第2次世界大戦でドイツ軍の爆撃により破壊され、1948年にソ連に解体されましたが、リガ創立800年を記念して1999年に再建されたのがこちらです。個性的な外観と彫金細工が見事で、当時の姿がほぼ完全に再現されているようです。

前に立つのは、リガの守護聖人ローランドの像

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右の建物の正面にある4体はギリシャ神話の神々で、その上には4大ハンザ都市リガ・ハンブルグリューベックブレーメンの紋章が浮き彫りされています。

あ、このクマさんの説明は読み忘れていました・・・

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ブラックヘッド会館の向こうには聖ペテロ大聖堂の尖塔が見えます。

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広場の向かい側に建つのは市庁舎。この隣にはリガ工科大学もあります。

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そのリガ工科大学前にあるのは、いかにもソ連っぽいラトビア・ライフル部隊の像です。ラトビア旧ソ連に支配されていたころ、レーニンの護衛についていたライフル部隊をモチーフにしているそうです。

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市庁舎広場を抜けたところにある広場は花がいっぱいで、レストランや露店も出ていました。でもまだちょっと時間が早いようです。f:id:fuwari-x:20190822125847j:plain

 

広場からの道は、どれも魅力的。向こうに見える尖塔はリガ大聖堂です。

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尖塔に誘われて歩いてみると、突き当りにはなんてキュートなお店。きのうの鶏のお店に負けずとも劣らないこの外観。1221というレストランでラトビア料理のお店のようです。

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1211年建築のリガ大聖堂に到着しました。何度も増改築が繰り返され、ローマ様式、初期ゴシック様式バロックアールヌーボー様式の特徴が混在しています。ラトビアにおける世界のキリスト教会活動の中心的役割も担っているだけでなく、リガの音楽の中心でもあり、この日も昼と夜に1884年に設置されたオルガンでのコンサートが予定されていました。

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リガ大聖堂の前にはドーム広場があります。旧市街はこうした広場がいくつもあります。

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ドーム広場から向こうに見えるカラフルな尖塔が気になりますが、先にこの近くにある三兄弟を探さなければいけません。

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これです。右から順に建築様式が古く、リガの典型的な建築様式が象徴的に並んでいることから三兄弟と称されています。

右は階段式の切妻屋根とゴシックの壁龕(へきがん=ニッチ)で装飾された15世紀に建築されたリガ最古の石像住宅。中央の淡い黄色の外壁が印象的な建物は17世紀の建築で、ファサードはオランダのマニエリスム様式(ルネサンス後期の美術)。末っ子のグリーンの外壁の建物は17世紀末に建設され、他の2軒に比べ幅が狭くバロック様式の破風が特徴的です。このころから土地が高騰してきているからですね。

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中はラトビア建築博物館となっていて建築可能だそうですが、そんな雰囲気・・・ないですよね?土日が休みなので、開いているはずだったんですけど。

 

タリンもそうでしたが、リガも教会の多いところでした。こういう色の尖塔は珍しい。ウクライナ様式の教会のようです。この後ろにはリガ城がありますが、内部見学もできないので、できるだけ歩く距離を減らすためにパスします。

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あれ?でも外れていっているみたい。

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旧市街にトラムは走っていないので、戻ります。

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旧市街は運河に囲まれているので、ガンガン車の走る車道へ出てきたのは失敗ですが、迷子にもなりにくいので安心です。

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戻っていくと、黄色い建物を見つけました。きっとこれだ!表へ回ってみるとお店が並んでいたので間違いありません。旧スウェーデン兵舎で、今はレストランやショップが入っています。

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ラトビアはリネン製品も多いということを調べていたので、お店に入ってみました。ランチョンマットが魅力的でしたが、気に入ったものは1枚12EUR前後となかなかいい値段です。

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城壁から兵舎へ抜けるスウェーデン門がこのあたりにあるはず・・・ツアー客が見えるということは、ここ?

楽器を弾いている人がいましたが、たぶんザルツブルクでも見たお琴のような弦楽器です。

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門をくぐって向こう側へ行ってみると、あぁ、スウェーデン門だ!

こちら側の方がステキですね。

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左側を見ると小道も魅力的。でも、石畳は画像で見るよりもずっと凸凹がひどく、かなり気を遣うんですよ。

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スウェーデン門の傍の建物には、こんなかわいいコたちも。

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兵舎側に戻ると、向かい側の建物もステキです。

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兵舎に面して城壁が残っています。もちろんもとはぐるりと囲っていましたが、今はここに移築されて残っているだけ。

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反対側を見ると、タリンで見たように木製の通路が見えます。やっぱりここにも修道女像が・・・

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兵舎側に戻って来た道を振り返ると、兵舎と城壁のどちらも見えますね。

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先へ進むとすぐに見えたのが14世紀に建てられた火薬塔で、現在ラトビアに唯一残る中世の防御施設です。スウェーデンポーランド戦争に巻き込まれ上部が破壊されましたが、1650年に再建されました。現在ラトビア軍事博物館として利用されています。

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建物の外壁には旧ソ連軍による侵攻の際の銃弾が多数壁に埋め込まれているのを見ることができます。なんとなく黒く丸く見えるのがそれだと思います。

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最後の見どころはここ。リーヴ広場の北側にある猫の家です。

この家の家主は裕福なラトビア人商人で、隣にある大ギルドに入会を希望しますが、ドイツ人のみが入会できたため、入会に値する十分な資格を持っていたにもかかわらず入会を断られます。その腹いせに、大ギルドにお尻を向けた猫を設置しましたが、その後入会が認められると、今の姿に向き直したと言われています。

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リガは12世紀ドイツ人によって建設された街で、ドイツよりもドイツらしい街とされていました。ドイツ人中心の社会が形成されていた当時の時代背景を物語っていますね。

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この猫の家の建物もユーゲントシュティール建築として貴重な建築物のひとつです。

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猫の家のあるリーヴ広場からも聖ペテロ大聖堂の尖塔が見えます。

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ここにはユーゲントシュティール建築の説明がありました。

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 建築群を巡る散策もきっと楽しかっただろうと思います。

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なにしろユーゲントシュティール建築は、市内にこれだけ残っているのです。赤で囲ったところが旧市街。もう少し外へ出れば、さらに見られますもんね。

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リーヴ広場にはもうひとつ、こんなものもありました。バルトの道と書かれています。1989年8月23日、旧ソ連統治下にあったバルト三国では、デモ活動としておよそ200万人が参加して手を繋ぎ、約600km以上の人間の鎖を形成して三国を結びました。バルト三国ソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書締結50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えたデモです。f:id:fuwari-x:20190822100711j:plain

 

さぁ。これだけ回っても2時間です。

まだお昼には早いし、リーヴ広場から自由の記念碑が見えたので、ちょっと見に行きます。市内を流れる運河を渡ったところに記念碑は設置されていました。

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手前には、リガのチョコレート会社LAIMAの時計があります。

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自由の記念碑は、1918~1920年ロシア帝国からの独立戦争で犠牲となった兵士たちに捧げられています。1940年の旧ソ連軍によるラトビア侵攻以降ソビエト連邦に併合され、この記念碑も解体を検討されたそうですが、実行に移されずに終わりました。

自由、独立、主権のシンボルとして大切にされており、今も公式式典や公開集会での中心的場所となっています。

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運河沿いの公園を歩いていくと、国立歌劇場があります。旧市街は緑に囲まれた穏やかなところです。

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負傷中の相棒とののんびりした散策でしたが、盛り沢山な午前中を過ごせました。

午後は、中央市場へ行きます。