2022年(令和4年)3月
今年初めての旅行は、去年の12月に予約していた高松行き。まずは、数10年ぶりに小豆島を訪れましたが、本命はアートを巡る旅の続きです。去年10月、ベネッセコーポレーションが瀬戸内の島に展開するアートを巡るツアーに参加したのですが、船舶のトラブルで2日目が中止になってしまいました。
その続きが見たいとやってきて、まずはひとつめの島、豊島を巡りました。そこからまた高速艇で移動して、今度は犬島を巡ります。
犬島に到着しました。私は豊島から高速艇で移動していますが、前回書いたとおり岡山の宝伝港からの渡し船があり、住所も岡山県になります。
思いがけずおしゃれな建物が待ち受けています。島を訪れるほとんどの人がベネッセアートが目的なので、チケットセンターとカフェ&ショップを兼ねた施設です。
建物の傍まで行くと、瀬戸内海が見渡せるところにベンチが並べられており、誰もがのんびり寛いでいます。
職員の人は岡山から通っているそうですが、台風の接近時などは避難し損ねるとひたすら籠ってここで凌がなければなりません。心細いだろうなぁ。なんてたって、住民登録している人は30名ほど、実際に住んでいるのは10数名だって言うんだから。
お昼も過ぎてお腹もすいています。ツアーに含まれている食事はたこ飯。舌平目づくしセット、気になるけどね。
海が見えて雰囲気のいい空間です。船が着く時間が決まっているので準備もしやすいし、忙しくなる時間も予測出来てやりやすいみたい。ピークから少し外れた時間だったことと、ツアーだったので織り込み済みだったこともあり、すぐに食事は運ばれてきました。
このとおり、ただ、たこ飯(笑
まぁふつうにたこ飯ですが、お腹もすいていたので美味しくいただきました。コーヒーか紅茶がつきます。1,300円は都会価格だなぁと思うけど、これも維持費のひとつなのでしょう。
食事が終わったころには人もいなくなっていて、ベンチもがら空き。犬島は御影石(≒花崗岩)の採れる島なのでずらりと並べてあります。
ここへ座って海を眺めていたら、いつまででも座っていられそうな気持のいい場所。ただし、この椅子は浅く腰掛けると前のめりに倒れますけど(笑
空を見上げてもご機嫌になれそうな、まだ肌寒い春の1日。でももう今ごろはそろそろ暑くなってきているかもしれません。暑がりの私には絶好の日和でした。
さて。犬島での見学の最初は、向こうに煙突が見える犬島精錬所です。その遺構を保存再生するとともに、自然エネルギーを利用した美術館を展開しているのが犬島精錬所美術館です。
犬島精錬所は1909年、明治の終わりに地元資本で建設された銅の精錬所です。でも、ほどなく銅の価格が大暴落したことで、たった10年稼働しただけで操業停止に追い込まれてしまいました。
煙害を引き起こすなどの問題もあったのですが、鉱員たちも次々引き上げてしまい、島は一気に過疎へと追い込まれました。当時3,000人ほどが住んでいた名残りは、村の中を歩くと案外多くの家があることからもわかります。でも、それらの家をよく見ると家の中を蔦が這っていたり、崩れかけていたりするものが多く、実際ほとんど住み手がいません。
精錬所へ入って行くと、普通のものに比べて黒い煉瓦が積まれているのが見えます。このカラミと呼ばれる黒い煉瓦が、犬島精錬所の特徴です。カラミは銅の精錬時に出る廃棄物から作られるもので蓄熱性があり、太陽が当って温度が上がるとその温度をキープするので、その効果を地熱利用のように活用できるということでした。
船着き場だった名残りもあります。犬島を精錬所に選んだのは、煙害対策として島を選択したこともありますが、輸送の利便性もまた考慮してのことでした。
精錬所内に造られた美術館の入口は、右手に見える御影石の石垣のあいだにあります。
石垣に使われている赤みを帯びた犬島の御影石は名高く、大阪城でも使われているそうです。でもいったいこの大きな石をどうやって運んだんでしょう。
高松城の石垣もかっちりときれいに積まれているのが特徴的でしたが、ここらあたりは花崗岩(≒御影石)が有名な地のようです。この圧倒的な大きさは、各地で需要があっただろうことが窺い知れますね。
犬島精錬所は廃業後、90年ものあいだ放置されていましたが、過疎化が進んだこともあり、かなり良い状態で遺っているのだそうです。でも私には、晴れ渡った明るい空のもとにある精錬所がなんとも朗らかな姿に見えて、歴史の重みのようなものはあまり感じられませんでした。
さて、美術館内は撮影禁止なのですが、丸ごと三島由紀夫の世界でした。三島の渋谷区松濤の家を解体し、それぞれのパーツを吊り下げた空間があったり、水盤を用いて彼のモチーフのひとつであった太陽を浮かび上がらせていたりと、なにかとても訴えかけるものがある興味深いアートになっていました。
ガラス張りのところがちょうど美術館の位置です。私は三島由紀夫の本は1冊も読んだことがありませんが、難解と言われる三島の本を読みたいという若い人たちが、結構いるんだそうです。彼の問いかけているものは、今、問われていることにもちょうど通じているのではないかと、そんな話も聞きました。
精錬所の遺構は循環型社会を意識して保存再生されているという説明があったのですが、朽ちるものは朽ちるまま、できる限り手を加えずになすがままにしているところが、その意味でしょうか。
犬島精錬所美術館のチケットは、これから後で見る家プロジェクトと併せて2,100円です。高いようにも思いますが、日本の近代化に警鐘を鳴らした三島由紀夫とこの精錬所との辿った軌跡とを重ね合わせた作品で、一見するに値すると思います。前回の直島でもふたつの作品を見た柳 幸典のアート、建築は三分一博志です。
ざっくりと整備された精錬所内を歩きます。
アーチ部分だけが赤煉瓦ですが、ここも当時のままのようです。
どういう工程を踏むのかはわかりませんが、この小さな島にはかなりの規模だったと思います。当時ここに多くの人がいた活気はどこにも感じられないことが、なんとも不思議な感じです。
眼科に池が見えます。島にはいくつかこういった池があるのですが、御影石を掘った跡地だそうです。相当深いところまで掘るので、池になって残っています。
煙突は修復されることなくやがては崩壊する姿を晒しています。国内でこんな緩い危うい状態で見学が許される場所はそう多くないと思います。小さい島ゆえ、ただ名所として訪れるような場所ゆえ許されていることかもしれません。
外壁だけになってしまったこの発電所の跡地は、イベントのステージとして利用することもあるそうです。手前に見えるのは井戸。
ここの存在を英語講師から教わったように、知る人には知られた場所として存在し続けられたら、それがアートを誘致した意味となるのでしょう。
軍艦島のように誰もが圧倒されるよな場所ではありませんが、こんな小さな島にもこんな時代があった、そしてまた公害を引き受けさせてきた歴史を感じさせる場所でもありました。
でも、豊島に比べると天気のせいもあるのか、とても明るいのがこの島の印象です。歴史的遺産というような紹介ではなく、あくまでアートの一環のようではありましたが、こんな過疎の小さな島に人を呼び込んだベネッセの取り組みには、一定の評価がされていいと思いました。
続くは家プロジェクトです。