2023年(令和5年)8月11日(金)
去年娘が旅行したアイスランドを訪ねる夏の旅。前回はレイキャビクのレストラン「Salka Valka kitchen」の食事の話を中心に書きました。
アイスランドの最終日はゴールデンサークルと呼ばれるアイスランドでもっともポピュラーなツアーに参加します。毎度同じバス停に8時半にミニバスのお迎えで、郊外で大型バスに乗り換えて出発です。曇天が残念。
30分ほどで駐車場に到着。シンクヴェトリル国立公園です。
アイスランドの建物はどれもシンプルでスタイリッシュ、外から見ると営業しているのかどうかわかりにくい。
そうでなくとも人口は少なく、たぶん自国民の観光客は少ない。海外から多くの観光客が訪れていると言っても知れているので、外からは閑散としているように見えます。
それでも中に入るとお土産物からカフェまであって、充実していました。
でもそれよりも、皆が眺めているのはなんだろう。
暗くて文字が見えませんが、世界遺産に登録されているという案内がありました。
展望台へ行ってみます。
下にも駐車場があります。そして広がる美しい湖沼。
世界自然遺産に登録されている?いいえ、シンクヴェトリルは「議会の場所」という意味を持っており、歴史的かつ文化的に非常に重要な役割を果たした場所として、世界文化遺産に登録されています。
そしてもうひとつ、この美しい湖沼の方ではなく「地質学的に」非常に珍しい場所としても知られています。
ハイキングコースは3kmコースまでありますが、コンパクトに回ってみましょう。
シンクヴェトリル国立公園の最大の特徴は地表に現れた大西洋中央海嶺で、北米大陸プレートとユーラシア大陸プレートの割れ目となっている場所です。大西洋中央海嶺は、ほとんどの部分は海の中にあるのですが、ここは海嶺が地上に露出している世界でも珍しい場所なのです。
つまり、アイスランドはユーラシア大陸プレートと北米大陸プレートの上にあって、それらが毎年2cmずつ離れていっているため大地を押し広げ、各所でAlmannagjá(アルマンナギャオ=割れ目)が見られます。ここもそう。地球の割れ目を歩いています。
たびたび起こる地震で埋まってしまったり、地盤沈下が起こって水没したのを修復し、木製の橋を架けたという説明がありました。
トレイルは、地球の割れ目と議会の場所のどちらも案内しているので、話に則って歩くことがなかなかできません。頭の中でふたつの話を行ったり来たりさせながら歩きます。
階段を上り振り返ると、歩いてきた割れ目部分が見えます。毎年2cm離れていっているということは、やがてアイルランドはふたつの島に分かれてしまうのかしら。
さて。ここからは「議会の場所」としての話です。930年にAlthing(アルシング)と呼ばれるアイスランド初の民主議会がここで設立されました。1798年にレイキャビクへ移されるまで毎年アルシングは開催されていました。現在、世界で最も長く続いている議会の元の場所となります。
ノルウェー人が定住を開始したとき、アイスランド全体をまとめるリーダーという人や、王様のような人はいませんでした。しかし、各地域を超える争いの解決や、アイスランドの島全体での意思決定のために何らかの形で会議を持つ必要が出てきました。そこで930年、アルシングと呼ばれる民主議会が設立され、30以上ある各地のグループがそれぞれ代表者を決定、その代表者がシンクヴェトリルで議会を開くということになりました。
最初の集まりが非常に上手くいったため、会議は年に1回となり、紛争が解決され、犯罪者が裁判にかけられ、すべての人のために法律が制定される場所になりました。930年に設立されたアルシングという議会は、世界で最も古く、なおかつ今に継続している議会となりました。ヨーロッパ大陸では領主制、王政が敷かれたのとは対照的に、アイスランドでは代表民主制が国の根底に築かれることとなったのです。
議会は毎年6月に行われました。毎年各地から何千人もの人たちが集まり、2週間にわたって議会は続きました。議会では政治や裁判だけでなく、ユニークなものもあったそうです。例えば承認が実況販売を行ったり、男性が結婚相手の女性を募ったり、船の乗船員を募集したりとバラエティに富んでいました。その様子がこちらです。
有名人から貧しい人まで、さまざまな層の人が集まり、ニュースやゴシップが飛び交う賑やかな場所でもありました。
人々が集っていたのはこのあたりでしょうか。アルシングの中心となった場所は法の岩と呼ばれていますが、正確な場所はわかっていません。13世紀以降、ノルウェーやデンマークといった北欧の有力国に支配されたことで事実上機能停止していましたが、その後、独立運動の流れで1845年にレイキャヴィクで再開されました。
そしてもうひとつ、シンクヴェトリルが重要視される大きな理由は、この地で西暦1000年に北欧の神々の信仰を捨て、キリスト教への改宗が決断した場所でもあります。北欧の神々を棄てなければノルウェーに武力侵攻されるだろうというところまで追い詰められ、当時の司祭に決断が委ねられたそうです。こうしてアイスランドの国教はキリスト教ルター派となり現在信仰している人たちは75%と言われていますが、今なお古代北欧の神々を信仰している人たちも数千人残っているのだそうです。
今でも何もないこの場所がなぜ選ばれたのか不思議ですが、芝と石で造った設備の遺構が50前後残り、地下には10世紀の遺跡が埋まっていて、アイスランドで最も神聖な場所で、アイスランド人がアイデンティティを感じる場所なのだそうです。
1944年6月17日、デンマークから独立し、アイスランド共和国樹立の宣言が行われています。また近年では1974年には入植1100周年、1994年には独立50周年、2000年にはキリスト教採択1000周年など多くの祝賀行事が開催されています。
最後に通るのは「処刑の池」。1550年に起きた宗教改革がアイスランドにもマルティン・ルター主義をもたらしました。その年、最後のカトリック司教が2人の息子とともに斬首され、その後もデンマーク王の審判の下に処刑が行われていきます。これは18世紀まで続きました。
当時の処刑には溺死もあり、主に近親相姦などで有罪になった女性は鞄に入れられた子どもを重しにして沈められたそうです。こ、こわい・・・怖すぎる。
アイスランドが誇る「サガ」という小説のような読み物は、歴代のノルウェー王の伝記、アイスランドの植民とキリスト教化の歴史、島民の諍いと裁判、古代ゲルマン民族の伝説など多岐にわたり、ここシンクヴェトリルでの集会で語られてきたことが書き留められ、語り継がれてきたのでしょう。
何もない場所のようでいて、今でも人々の集まる地球の割れ目、シンクヴェトリル。決して当時の彼らはここがプレートの裂けていっているとは知らなかったはずなのに、この地を選んでいたというのが不思議な気がします。
ところで、私がどこかへ行ったすぐ後にそこで事件や事故があったり、逆にメディアなどで取り上げられて脚光を浴びるなんてことがよくあるのですが、アイスランドについてもいくつかありました。今、噴火の危機が迫っているというニュースがひとつ。もうひとつは、先日飛行機に乗ったときにこのシンクヴェトリルの件が取り上げられていました。
現地で、もっと地球の割れ目がわかる部分はないのかと思っていたのですが、ちゃんとありました。
私が歩いたところも割れ目ではあるのですが、ここへ来るともっと明確に毎年裂けていっていることがわかるようです。
ほら。橋を渡してあって裂け目を歩けるんだって。北米プレートとユーラシアプレートを股にかけて立てるんだよ。何もない場所だけど、なんだかワクワクするだろうな。
さて、グランドサークルツアーも残すところあと1ヶ所です。