英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【秋田】はじめての秋田3日目-2 赤れんが郷土館から旧金子家住宅へ

2017年(平成29年)3月19日(日)
 
今まで足を踏み入れていない都道府県は、北から青森・秋田、南が愛媛・佐賀・宮崎・鹿児島と残すところ6県。今回はそのうちのひとつ秋田県を訪れています。
前回記事はこちら。
秋田市内観光の始まりは、気になっていた川反通りから。ここは、夜になると居酒屋などが軒を連ねる繁華街なんだそうです。

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旭川を渡ってすぐ川反通りがはじまりますが、でも昼間はその気配すら感じられません。どんな賑わいか、見ておけばよかったかな。 

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そこから先へ行くとすぐに赤れんが郷土館があります。旧秋田銀行本店です。 
 
この赤れんが郷土館旧金子家住宅民俗芸能伝承館との共通観覧券があります。
なんと250円
 
相棒は明日早朝に帰ってしまいますが、私は夕方まで時間があるので、千秋美術館佐竹資料館など、さらに5ヶ所回れるくるりん周遊パスを購入しました。こちらは500円。おススメです。 

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ワタクシ、昭和初期に三菱商事だったビルに勤務していたことがあります。冬になると暖房ボイラーが配管された館内全体をめぐるんですが、そこへお弁当を乗せて温めたりしていました。近くにはこういった旧銀行があって、そちらはレストランになっていました。雰囲気もいいしお味もいいし人気店で、よく食べに行ったなぁ~
 
2階から見下ろしたところ。

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2階は金銀細工の人間国宝、関谷四郎の作品が展示されていました。

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先へ行くと貴賓室。床は欅の寄木板張り、腰部分の手書きクロスはギリシャ月桂冠を図案化した模様です。

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写真の左側に、銀色のオイルヒーターのようなものが見えますよね。あれです、あれ。スチーム暖房機。あの上にお弁当を乗せてました。
暖炉は埼玉県産の蛇紋岩で彫刻したもの。

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階段や踊り場も同じく埼玉県産の寒水石を使用したとても豪華なものです。
いい雰囲気ですよね~

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一度階段を下りてから、別の階段から3階へ上がります。
こちらは版画家 勝平得之(かつひらとくし)の作品が展示されていました。これがね、いいんですよ~ 
 
雪国の市場昭和6年
秋田市通町の朝市風景。野菜を前に座っている農婦、かぼちゃを量らせている角巻きの女や、店先にたたずむお高祖頭巾の女性など、雪の朝市の風景。
 
 
まゆだま昭和16年
小正月に作られる飾り物で、ヤナギの若枝にうるちの団子を奇数にさし、神仏に供えて豊作を祈る。また、座敷のはりにも飾り、雪にうずもれて薄暗い家の中が白い餅花で花が咲いたように明るくなる。
 
夜の草市(昭和38年)
お盆の前夜、秋田市の通町と馬口労町で開かれる盆市で、近郊の農婦たちが持ち込んだハス、オミナエシなどの草花、枝豆やまくわ瓜などの野菜が街路の両側に並べられ、宵の町に山野のかおりがただよう。
 
温かみのある作風というだけでなく、当時の秋田の文化や風俗の様子もわかります。ここはとても気に入って、じっくり時間をかけてまわりました。
 
続いてやってきたのは旧金子家住宅です。 江戸後期の町やの伝統的な建築様式を残した貴重な建造物です。
商家である金子家は、金子家日記によると、当時、藩の御用を勤めたり、特定の人や寺を相手に旅籠のようなものを営んでいました。 安静元年に質屋・古着屋を開いたといわれ、 明治4年には呉服・太物卸商金子商店を創業して、昭和50年まで、ここで商いが続けられていました。
  
ここでかぁ~ すごいなぁ。

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主家は明治19年の俵谷火事で焼失し、翌20年ごろに再建されたのですが、戦前、秋田市内では火事に備えて主屋の屋根に天水甕を置く商家がありました。 屋根の上に見えますよね。火事に備えて雨水をためていました。
中に入ると、右手に土蔵がありますが、この蔵は大火を免れています。 鞘(さや)屋根で主家とつながっている内蔵形式です。 蔵正面の中2階にも、火事の際に蔵の窓を目張りするため、壁土と水を入れた桶を置いていました。 

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蔵の反対側が主家です。手前から、台所・座敷・店先になります。

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奥の店先からご案内しましょう。 

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仕入帳・大福帳なども置いてありました。ほとんどが掛売りだったそうです。

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先に挙げた金子家日記もあります。 

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お得意さんは、障子の向こうの座敷に通したそうです。そこからはおかみさんの出番。台所からちょっとしたものを運んで、おもてなしをしながら商談をしました。

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台所には女中部屋もあります。ちょっと写真が暗いですが、この写真の右が座敷、左は土間の向こうに土蔵があります。

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続いて、お隣の民俗芸能伝承館へ行きます。
次回の記事はこちら。