2017年(平成29年)9月9日(土)
前回記事はこちら。
この日動いた地図を載せておきます。
萩は海沿いを東側にいったところで、川に囲まれて島のようになっています。
長門市からの候補はふたつありました。
長門市駅到着 11:361.ランチのあとはまっすぐ萩へ向かう長門市 12:22 → 東萩 12:572.ランチのあと「金子みすゞ記念館」へ行く長門市 12:34 → 仙崎 12:38長門市 14:34 → 東萩 15:133.ゆっくりランチしたあと、歩いて「金子みすゞ記念館」へ行く長門市 14:34/16:18 → 東萩 15:13/16:55
2と3は、仙崎から長門市へ戻る列車がこの時間にはなく、徒歩しかありません。
とにもかくにも、ランチです。
地方の食べログはあてにならないと聞きますが、探すのも大変なので決めました。駅から徒歩5分です。
お店に着くと、既に数台の車が駐車場にありました。嫌な予感・・・
案の定、満席になったところでした。11時半開店で15分後には到着した私たちがもう入れないとは、恐るべし。
カウンターを見ると、隣同士ではないものの席がありました。お店の方に尋ねてみると、とにもかくにも座席は確保することができました。
私が頼んだのはお刺身定食 1,500円
本当はここは捕鯨漁港の傍ということで、鯨料理も有名なんだそうです。
なーんとなく時間も気になって、気もそぞろ。食べ終えたのが12:15。
ちょっとお酒を呑みたかったけど、中途半端なので出るしかないか。お会計を済ませて駅へ向かえば、萩への電車にギリギリ間に合いそう。
萩でゆっくりするほうがいいとは思いつつ、仙崎へ足を伸ばしたい気持ちもあったので走ることなく駅へ行ってみると、電車はちょうど出発して姿を消した後のようでした。
仙崎駅へはたった4分の乗車ですが、歩くと30分近くかかります。戻るときは電車がないので、それを念頭に向かいました。
(写り込んでいる人は無関係です。念のため(笑)
金子みすゞ記念館へはここから5分ぐらいです。童謡詩人、金子みすゞがこの世を去ったのは、わずか26歳のときでした。夫の放蕩生活、みすゞへの創作活動の禁止を経て、みすゞへ性病感染させるなどが原因で離婚が決まります。
一人娘は自分で育てたいとみすゞは願い、一度は夫もそれを受け入れますが、すぐに翻意して親権を要求されます。この時代、夫が望めばその意見が絶対でした。前日には写真館で記念撮影し、娘を手渡したその日、みすゞは服毒自殺を遂げます。娘は母に育ててほしいと遺書を残して。
この記念館は、みすゞが幼少期を過ごした本屋さんを復元して作られています。
みすゞの詩が欄間にいくつかかかっていました。娘の教科書に載っていたのは、これでした。
でも私は、やはり「大漁」が好きです。
こんなにも繊細では、とても生きていけなかっただろうと話しながら見てまわります。そして、2階へ上がりました。みすゞの部屋が、そこに再現されていました。
真昼間の13時前のこの時間、外は晴天、なのになぜこんなに切ないのか。胸を突かれて、思わず涙の出るような部屋でした。なんでもない部屋なのに。ここは子どものころに住んでいただけの場所なのに。
隣の建物には、みすゞの遺した詩を展示していました。座ると朗読が聴ける椅子や、手をかざすと手のひらに詩が映し出される仕掛けもありました。
短い時間で記念館を出るとき、職員さんは見逃したものがないかどうか気遣ってくださいました。みすゞを誇りし、少しでも多く伝えたいという想いに溢れている方たちでした。
そろそろ時間です。本当は、仙崎漁港へも行きたかったのですが、ちょっと無理そう。
西側の深川湾沿いを歩きましたが、まぁ暑いのなんのって。
日傘は持って行っていましたが、まったく陰のない道路、日ごろは苦にならない2.4km30分の距離が、すごーくつらかったです。
長門市発14:34
電車は、東萩ではなく2駅手前の玉江で降り、島のようになっている萩の街を西から東へ歩いて行こうということになりました。
ようやく、萩へ向かいます。
次回の記事はこちら。