英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【ANA SFC修行 長崎】1日目-1 ANAプレミアムクラスで長崎へ。まずは出島。

 2018年(平成30年)10月20日(土)
 
ANAの上級資格を取るべく思い立ったマイル修行の一環で、長崎へ1泊2日で行って参りました。当初は9月末に行く予定でしたが、台風のため延期。
欠航によるキャンセルではなく自ら変更できたのは、ひとえに高い航空券のおかげ。こんなに高い航空券を買うことなど、二度とないでしょう。行きはプレミアムクラスです。
 
まずは、保安検査場。プレミアムクラスは専用レーンがあります。どうってことないと思っていたけど、結構混んでいたので助かりますね。
 
ANAラウンジでは、ビールとおつまみ。アルコールが飲めるのは幸せ~

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機内食はなんてことないですけど、早朝から家を出ていたのでなんか嬉しい。しかも、スパークリングワインが飲める~ 赤ワインもいただきました。

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空港からはシャトルバスで長崎市内へ。長崎空港の連絡橋ってすごくシンプルで、関空などとは違ってほんとにすぐ傍に海。

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それにしてもいい天気。台風を避け、延期したのは正解。せっかく変更可能なチケットだったので、それを活用したい気持ちもありました。 
 
長崎での予定は、特に決めていませんでした。10数年前に社員旅行で行ったことがあるので、覚えていると思っていました。
 
バスを降りたところから出島が近かったので行ってみました。東側にある料金所は、1878年(明治11年)に建てられた、現存するわが国最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校。 
 
その奥には、旧長崎内外クラブ。
1899年(明治32年)にグラバーの息子倉場富三郎や荘田平五郎などを発起人として、長崎に暮らす外国人と日本人の交流の場として旧長崎内倶楽部が設立され、1903年(明治36年)英国人リンガーによって英国式洋風建築が建てられました。このリンガーさんのことは、後述します。 
  
このふたつは洋館ですが、あとは当時の出島を復元した建物です。
まずはその狭さを、チケットとパンフレットで見てみましょう。 え?たったこれだけなんですよね。 
 
数ヶ月前に「ふぉん・しほるとの娘(吉村昭/著)を読みました。私は吉村昭の本が結構好きで読んでいるのですが、この本を通してシーボルトがいかに日本人を騙して日本の物を収集したか、そしてそれをオランダに持ち帰ったかを知って、憤慨したんですよね。だから、5月にオランダへ行ったとき、シーボルト記念館へも行きませんでした。
ただ、この本を通して出島情景を思い浮かべることができたので、こんな狭いところで起こったことということに非常に驚かされました。 
 
出島を復元した「ミニ出島」があったので見てみると、やっぱり狭い。 

 

今は埋め立てられ、建物に囲まれていますが、当時は海に面していました。到着してすぐだったのでどっちに海があるのかも想像できず、今になって見直してなるほど~と納得していますが(このミニ出島の左側が海)、細長く狭い長崎湾を深く入り込んで、ここに貿易の拠点、なかなかいい位置です。 
 
当時の出島を再現しています。 
  
左側が出島の番所役が交代で泊まっていたと思われる乙名部屋。日本側で出島管理の実務を担っていたのが、有力町人から奉行が選任した出島乙名。貿易事務を行うとともに、商館員の監視役でもありました。ここで自由な出島への出入りを禁止するために交代で詰めていたようです。

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カピタン(=商館長)の部屋はゴージャス。商館員たちはここでともに食事をとる習慣だったようですが、この35畳の部屋では日本側の役人との応接や饗応の場でした。 
 
他にも商館員たちの商談に用いた部屋や執務室が再現されていました。

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再現バージョンばかりではなく、当時の取引の様子なども資料もあります。
輸出用の棹銅の箱

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計量の様子

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輸出用の食器の梱包も興味深いです。

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シーボルトは植物を多く持ち帰りましたが、持ち込みもしています。ヒマワリ、ダリア、マリーゴールドオシロイバナトケイソウといった花々や、ウコン、アスパラガスなどもありました。

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また、オランダ船をはじめとする船の模型も多く展示されていました。どの国も威信をかけて造船していた様子がよく見て取れました。

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長崎といえばおなじみの蘭学事始

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解体新書

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出島の復元事業はまだ続いており、昨年11月には出島に人の出入りができる唯一の表門橋が復元されました。 
  
翌朝撮った遠景のほうが出島のイメージが掴みやすいかな。今ではまるで川ですが、この出島は湾の中とはいえ海に囲まれていました。
奥に見える現代の建物がなかったらいいのに ・・・つい、そう思っちゃいますよね。 
  
珍しく2時間近くかけて、じっくり見学。普段は通り過ぎるような展示物も、ビデオも割合しっかり見て楽しみました。これもふぉん・しほるとの娘を読んでいたからでしょうね~
 
機内食を食べたとはいえ、もうすでに13時。そろそろ食事に向かうことにしましょう。
次回の記事はこちら。