2021年(令和3年)11月13日(土)
マイルを利用した旅を重ねていましたが、来期のステータスにまつわる誤解で、有償で乗らねば!と計画したのがこの旅行。正倉院展を目的に奈良へやって来ています。
前回は、五重塔をはじめとする興福寺から奈良公園を通り、お水取りで有名な二月堂までをご紹介しました。
今回の目的は正倉院展。かつてそこに収められていたからこそ良好に保存され、今も奈良時代の宝物が残されたという正倉院。その校倉造りの姿を見に行きます。ぐるりとめぐらされた塀から、地味にひとつ開いた門を通って先へ進みます。そしてさらに塀。あぁ、これか!
記憶にあるよりももっと大きな建物です。正面約33.1m、奥行約9.3m、床下の柱の高さ約2.5mだということですが、こんなに堂々たる建物とは思いませんでした。
756年から1875年(明治8年)まで朝廷の監督下で東大寺が管理したのち、国の管理に移行しています。しかし、国宝に指定されたのは1997年(平成9年)になってから。というのも正倉院御物は天皇家の所有物なので、国宝・重要文化財の指定対象外という慣例があるからなのだそう。ただ、翌年1998年にユネスコの世界文化遺産に指定されるにあたって、文化財に指定されていなければならないという条件があったため、建物のみ例外的に国宝に指定されたという経緯です。
正倉院の造りは、北倉と南倉は断面三角形の校木(あぜき)と呼ばれる材を20段重ねて壁体を造った校倉造ですが、正面の中倉は柱と柱の間に厚板を落とし込んだ板倉になっています。よくまぁ1,200年の時を超えて宝物を守ってきたことかと思いますね。建築技術もさることながら、戦火をくぐって守り継がれてきたことは本当に奇跡だと思います。
たっぷり見学したあと正倉院から東大寺へ向かうと、裏からのアプローチになります。東大寺の方が、逆に記憶にあるより小さいかも。
観光客はかなり多いと思ったのですが、ほとんど並ばなかったことを見るとまだまだ人出も少ないのでしょう。拝観料は600円です。
東大寺は平氏軍による南都焼討などで焼失しており、現在の建物は1709年に再建されたもので、正面の幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1m。創建時よりも幅が2/3になっています。
正面から見たこの姿は、建て替えによって姿をかえています。あとでご紹介します。
ぐるりと回廊がめぐらされている向こうに、金色に輝く七重塔相輪が見えます。かつて東大寺には高さ100mの七重塔が東西に建っていたのですが、1970年(昭和45年)の大阪万博で古河パビリオンとして復元しました。その相輪部分が万博後に寄贈され、ここにあるのです。
奈良の大仏は正式には東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)といいます。像の高さ約14.7m、基壇の周囲70mで、世界で一番大きい銅製の大仏。
大仏の坐す蓮華座の仰蓮には線刻画が描かれていますが、2度の戦火にあった大仏と違ってこちらはかなり当初の部分を残しているそうです。
大仏の西隣には、虚空菩薩像(こくうぞうぼさつ)。こちらは江戸時代造立です。木造で大仏の約半分の高さ、7.1mあります。
大仏の建立は、まず塑像(そぞう)を作り、鋳型を起こし、銅を流し込む。そこへ別に造った966個の螺髪(らほつ=パンチパーマ部分)を仏頭にひとつずつ(高さ38cm直径47cm!)取り付け、仕上げと金メッキ加工を行うといった作業に、それぞれ年単位がかかっています。さらに、台座の彫刻画に5年、光背と呼ばれる光の輪を造るだけでも、8年半かかっていると記録されています。
天井裏へ上がる急な階段が気になります。明治時代に、イギリスの鉄鋼技術が取り入れられ、鉄骨の骨組みが組み込まれています。これだけの大屋根を支えるのに、補強が必要になったんですね。
創建当時の1/50の模型です。拝観前に七重塔の相輪のレプリカを見ましたが、こんなふうに左右に七重塔があったんですね。さぞや壮観だったことでしょう。
そしてこちらが鎌倉期と江戸期の再建時の大仏殿の姿です。鎌倉期の再建では創建時と同規模で作られていますが、江戸期では幅が2/3に縮小されています。戦国時代の戦火に焼失したため復興に難を極め、大仏は120年ものあいだ雨ざらしの状態にあったそうです。
西側には大仏を守る四天王のひとり、廣目天(こうもくてん)。
東側には多聞天。いずれも江戸の復興期の像です。
四天王の残り2体は制作途上で中断され、顔だけが残されています。こちらは、持国天(じこくてん)。像長天(ぞうじょうてん)も反対側にありました。
大仏の東隣には、こちらも江戸期造立の如意輪観音坐像。
東大寺大仏殿といえば、柱くぐりが有名です。直径120cmの大仏殿を支える柱に30cmの穴が開いており、ちょうど大仏の鼻の孔と同じ大きさと言われています。その穴をくぐるとご利益があるとか、ないとか。その場所を探していたのですが、コロナ禍で通れなくしてあったようです。
東大寺をぐるりと囲む回廊は、江戸期の大仏殿再建に続いて復元されたもの。しっかりと記憶に残して、大仏殿を後にしました。
正倉院展の予約までまだ時間があるので、春日大社まで足を延ばします。
春日大社の参道は興福寺の敷地を出て、正倉院展を開催している奈良国立博物館の裏の一之鳥居から始まるのですが、東大寺から回った私たちはすっ飛ばして御本殿近くから横入り。
こちらの二之鳥居から入ります。中を案内してもらえるツアーがあるようで、神職の人の説明が始まっていました。「ここからは、どんなにお偉い方がいらしても徒歩で参拝していただくことになっている」という話が聞こえてきました。それにしても、石燈籠のそばに鹿が座っているのに、まわりに溶け込んでしまっていて誰も気づかない(笑
鳥居をくぐると伏鹿手水所(ふせしかのてみずしょ)があります。こちらで手と口を清めて中へ進みます。春日大社の主祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国からお越しになったときに白鹿に乗って来られたとされ、鹿が神鹿(しんろく)として大切に扱われるようになりました。
苔生した石燈籠の参道を進みます。この燈籠の存在を、覚えておいてください。
春日大社御本殿南門から入ります。拝観料金は500円。
拝観受付は、回廊に囲まれた中に入ったところにあります。向こうに見える中門・御廊をさらに入ると御本殿なのですが、正倉院の落ち着いた佇まいからこちらへくると、もはやキャパオーバー感があって、中へは入らずに戻ることにしました。
入口から見学できたのは上記画像左手の建物で、東側2間を幣殿といい天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納めるところ。西側2間は宮中伝来の御神楽を行うための舞殿で、それぞれ天井の様式が異なっています。奥には樹齢800年といわれる林檎の木や、樹齢約800年~1000年の杉の大木が見えています。
春日大社は参道でも見たように多くの燈籠があることが有名で、平安から今日までに約3,000基が奉納されているそうです。そして、年に3日だけそれらすべてに浄火を灯す春日万燈籠が行われます。
その3日とは節分の日と8月14,15日。吊り燈籠が1000基、そして参道や回廊の外にある石燈籠2000基のすべてが点火されたその幻想的な美しさを、ぜひ現地で体感してみたいですね。
門の中に厚板で組み上げられた朱塗の校倉造は宝庫です。そして、ここにも燈籠が吊り下げられています。人混みが苦手ということと、こういうことに関心を持ち始めたのが近年なので、近くにいるあいだに行かなかった春日万燈籠を見ずにいたことを惜しみました。でも、現居住地の近くで行われている様々なことも、住んでいれば結局行かないんですけどね。
春日大社のHPには、様々な季節の映像が紹介されているので、ご参考までに。
大満足です。古都といえば京都ばかりに行っていましたが、なんと大きな平城京とあるとおり、奈良の都は雄大。また機会を見つけて再訪したいものです。