英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【アイスランド】レイキャビク散策 歴史的会合が行われた「ホフディ・ハウス」

2023年(令和5年)8月10日(木)

 

去年娘が旅行したアイスランドを訪ねる夏の旅。前回はレイキャビクの街を散策しハットルグリムス教会を見学した話を中心に書きました。

fuwari-x.hatenablog.com

 

この日から2日間はツアー参加です。でも、5時から22時まで明るいこの時期のアイスランド。普段から起床時刻が5時の私は早朝から目覚めてしまったので、朝ご飯までのあいだに目指すところがありました。小雨の降る中、6時過ぎに出掛けます。さて、シンプル過ぎて自己主張の少ないこの建物はなんでしょう。

 

警察署です。レイキャビクにあることから考えるとこれが警視庁本部みたいな位置づけかしら。スズキの車が停まっています。

 

さらに進んでここ。ツアーだと必ず訪れる場所なんだそうです。1909年にフランス領事館として建てられたホフディ・ハウス(Höfði)

 

この建物の内部は公開されていないのですが、こんな質素な旧領事館がなぜ観光名所かというと、東西冷戦の終結のきっかけとなるアメリカのレーガン大統領と旧ソビエト連邦ゴルバチョフ書記長がによるレイキャビク会談が行われた場所なのです。といっても、当時の私はまだまだ政治に関心もない呑気な学生だったのでまったく知りませんでした。

 

傍らに立つこの銅像の方が立役者かと思いきや、詩人で起業家のエイナル・ベンデヒクトソン(Einar Benediktsson 1864-1940)の像でした。

 

彼は先見の明があり、世界中を旅し独創的なアイデアで社会改革を提唱しました。彼の遺したもののひとつは詩人として功績で、ハープの前に立っている像というのは彼の詩を象徴しているそうです。また一方で、アイスランドの天然資源を利用すべく水力発電を利用するための事業に加わり、20世紀前半のアイスランドに貢献しました。像の建立は当初別の場所でしたが、ホフディ・ハウスに住んでいたことがあったため、ここに移されてきました。

 

もうひとり、幼少期にホフディ・ハウスに住んでいたことのある画家、ルイーザ・マティアスドッティル(Louisa Matthíasdóttir、1917-2000)の説明もありました。要は、ここにまつわる人を集めてあったんですね。

 

ホフディ・ハウスから道を挟んで向こうにキュートな黄色い灯台が見えます。こんな素朴で開放的な場所で歴史的会合が行われたとは驚きです。アイスランドは日本の中核都市規模の人口34万人という小さな国で、その人口の2/3がレイキャビクに集まっています。でも、1913-1917年に大きな港が建設されるまでは、ほんの5,000人しか住んでいなかったそうです。

 

1940年頃までヨーロッパでももっとも孤立していた国でした。第二次世界大戦で駐兵していたイギリス兵とアメリカ兵によって社会基盤となる施設や、アイスランドで初めての空港が建設されたため、近代的な街が出来上がっています。そして、地図の位置を北大西洋を中心にしてみると、アイスランドが最適な場所として選ばれた意味が分かります。そう、アメリカとロシアのちょうど中間地点にあるのです。

 

1986年、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が、こんな小さな国の静かな場所で会談を行っていたとは。

 

案内板には、1909年に建てられてから、どんな人が住みどんなことが行われてきたかがアイルランド語で書かれています。

 

反対側には英語での説明がありました。この家はフランス領事のためにノルウェーでキットとして設計されたものを、組み立てて建築されたということ。以来、歴代に住んだ人たち、訪れた人たち、レイキャビク市が購入して以降、レイキャビク会談についての話などが書かれていました。

 

企業や政府機関に囲まれた立地ですが、早朝ということもあってオフィス街の賑わいはまったく想像できません。いや、でも本当にそんなに人が集まってくるとは思えないさっぱりとした雰囲気です。

 

海に向かって立つと、ぽつねんとホフディ・ハウス。こんなところに案内されたレーガンゴルバチョフもひそかに驚いたのではないかと思います。

 

観光地として様になるように、ホフディ・ハウスにまつわる人を集めた形と言えなくもないですが、北極圏でありながらのどかなお国柄が垣間見えるようでした。

 

さて、寒くて凍えそうなのでホテルへ戻りましょう。途中で見つけたこの看板、Woolcanoと書いてあります。そうか、アイルランド語では火山はWから始まるのか。volcanoと似ているので、画があればわかります。そういえばアイリッシュウィスキー博物館で、ウイスキーの語源はuisge-beathaと教わったので、whiskyよりもローマ字的。このあたりが言語によって変化しやすい音だったんでしょうかね。

 

いよいよツアーの前に、次回はホテルでの朝食です。