2024年(令和6年)1月7日(日)
年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。最後の3ヶ国目、フランスに滞在中です。前回は再びポールボキューズ市場へ行ってのランチの話を中心に書きました。
旅行最後の日、リヨンでもうひとつ見るべきはだまし絵と呼ばれる壁画。歴史地区川沿いに北へ行くと、壁画が多く描かれている地区があるらしい。8時20分、夜明けとともに出掛けました。
ソーヌ川沿いを歩いて行くと、ビルの奥に15世紀に建てられたÉglise St-Nizier(サン・ニジエ教会)が見えます。
さらに進むと歩行者専用の橋が架かっていて、フルヴィエールの丘の上にエッフェル塔を模したという電波塔が見えます。ここからだとリヨン=ノートルダム大聖堂はほとんど見えません。
お目当ての壁画はちょうどその橋のそばにありました。
ほら。壁を塗っている人が見えます。
側面には2階に絹織物のデザイナーが作品を広げていたり、3階にはキャンバスを広げた画家シャヴァンヌ(Pierre Puvis de Chavannes)がいたりします。
正面にはもっと多くの人が認められます。すべてリヨンにゆかりのある人たちで、リヨンの守護聖人や学者、発明家、冒険家など職業も時代も多岐に渡っています。
今も存命中もひとりいて、フランス代表にもなったサッカー選手ベルナール・ラコンブ(Bernard Lacombe)。が1階玄関前を歩いています。映画好きの人ならリュミエール兄弟もご存じなのかな(2階右端)。そして、リヨン生まれでもっとも著名なアノ人ももちろんここに。
3階のココ!!星の王子さまとともにいるサン=テグジュペリ(Saint-Exupéry)です。この本は今も手元にあるけれど、私、何度読んでも理解できなかったんだよね。
1階でコック帽をかぶっているのはポール・ボキューズ(Paul Bocuse)。
遠くから見ると、絵とは思えないほどリアル。
右側のドアから出てくる人は、ジャーナリストで、テレビパーソナリティーだったベルナール・ピボット(Bernard Pivot)。
この界隈を歩いて行くと、いくつも壁画に出会えます。上部に4枚の絵が見えますが、下部がスゴイ。
画家トニー・トレット(Tony Tollet)とその作品が描かれています。トニー・トレットはリヨン出身の人物の肖像画を描いていた人物で、現在は芸術家を目指す若い人たちを支援する団体Association Tony Tolletが設立され、彼の作品を管理しています。
こんな小さな一角にもまた壁画を見つけました。窓の一部が絵だし・・・
下部にはライオンもいました。
ここに書かれたルートを辿っていくと、もっと多くの作品に出会えそうです。でも、日の出後まもなくのこの界隈はめちゃくちゃ寒かったので、もうホテルに戻ることにしました。
戻る道で通ったのが17世紀の旧修道院にあるリヨン美術館。目の前にあるテロ―広場はフランス革命時には処刑も行われていたそうです。
そしてテロ―広場を囲むようにリヨン市庁舎もあります。内部は9月末の2日だけ見学が許されるそうで、特に会議場広間はベルサイユ宮殿のように荘厳な空間となっています。
テロ―広場のシンボルはバルトルディの噴水(Fontaine Bartholdi)。バルトルディ(Frédéric Auguste Bartholdi)はアメリカの自由の女神の制作者として知られています。
もともとはボルドー市がカンコンス(Quinconces)広場に設置する噴水のコンペを行い、バルトルディが優勝したので制作したものの、キャンセルされてしまいました。
調べてみると、そっちには代わりにジロンド派記念碑が建てられてたわ。キャンセル理由は高過ぎるからだって。代わりにリヨン市が買い取りここに設置されたというわけ。
女神が操る4頭の馬はもともとの設置場所だったボルドーを流れるガロンヌ川のほか、フランスを流れる主な川、セーヌ川、ロワール川、ローヌ川を表しており、非常に躍動的。大迫力でした。
市庁舎の反対側へ回ります。リヨン市庁舎は2度の大火事やフランス革命での革命軍による攻撃により、何度も修復を繰り返しているのですが、建設当時の設計を再現した箇所もあれば新古典主義を取り入れた箇所もあるものの、いずれも豪華で美しい空間となって今に受け継がれています。
この建物に面してリヨン・オペラ座が建っています。内部はツアーに参加すると見学でき(15EUR)、概ね週末に開催されています。
オペラ座の見学は、パリとウィーンで経験がありますが、予備知識を得てまた入ってみたいな。
オペラ座の隣のルイ・プラデル広場(Place Louis Pradel)には、太陽(Le Soleil)と名付けられた噴水が見えます。こちら側はとても近代的。
地下鉄に降りるとき、ホテルの名前が駅名とはすごいなと思っていたら、フランス語でHôtelではホテル以外に庁舎という意味もあるみたい。なんだ。あまりにも寒いし24時間券もあるので、ここから地下鉄で戻ります。
自動改札機はドア部分の背が高い。マドリードでもそうだったけど、乗り越えたり潜ったりする可能性ゼロ。
清潔な構内は危険度なしです。
日曜日の静かな歴史地区。お店も閉まっているので早々に空港へ行って、タックスリファンドの手続きをして、ラウンジを楽しむことにしましょう。
返す返すもせっかくの美食の地でレストランに入らなかったのは心残り。そしてなにより、ホテルの裏側にもあった百貨店に気づかなかったのも痛恨のミス。昔のようにお土産を探し回ることがなくなったことも敗因のひとつでしょう。ヨーロッパの旅も終わりです。