2025年(令和7年)12月28日(日)
今回で最後にする予定の長距離路線、思い切ってピラミッドを見に行こうと決心し、年末年始の旅行を計画しました。決して訪れるはずのなかったアフリカ大陸に来て、ピラミッドを目の前に滞在中です。前回は、プライベートツアーで訪れたエジプト考古学博物館の話を書いています。
エジプト考古学博物館は12時前に見学を終えました。ランチの前にもう少し観光を続けます。この先に行くのはサラディン城塞の中のムハンマド・アリ・モスク(Muhammad Ali Mosque)ですが、ガイド氏の日本語ではいまひとつここの解説はわかりませんでした。GoogleMapでサラ・エル・ディンのシタデルと書かれている場所に向かいます。Salah ad-Din CitadelやSaladin Citadelと表記されており、Citadel=城塞なので、ここではサラディン城塞と書くことにします。

サラディン城塞のまわりを走行中。カイロは信号がほとんどなく、道路交通法はあるもののほとんど守られていないそうです。信号がないため一方通行から抜け出せず、目的地がそばにありながらぐるぐる回って到着ということがよくあります。

サラディン城塞は十字軍の遠征からの防御のため、12世紀にSalah ad-Din(サラーフ・アッディーン 通称サラディン)によって建てられた城塞で、高さ10m厚さ3mの城壁に囲まれた中にムハンマド・アリ・モスクのほかいくつかムスクや軍事博物館などがあります。

今回の見学はその中のムハンマド・アリ・モスク。いくつものドームと2本のミナレットがあるモスクです。

ツアーバスも停まっていますが、そこまで人は多くありません。

サラディン城塞の反対側にあるのは採石場という説明でしたが、その広大な敷地にはモスクも見え、いくつかの遺跡もあるようでした。こういうところの説明に答えてもらえないのがガイド氏の残念だった点です。

チケット売り場には行列がありますが、ツアーによっては優先入場ができるようです。こちらもエジプト考古学博物館と同じく550EGP(1,880円)をクレジットカードで支払います。

城塞内をきちんと観光するとかなりの広さなので、カートを頼むこともできるようでした。でも、私たちの今回の見学はムハンマド・アリ・モスクのみなので、5分ほど歩けば到着です。

城塞内の地図はこんな感じ。□で囲った入口からムスクまで、Saladin's Wallに沿って少し迂回しながら歩いていきます。

お土産物店などもありましたが、残念ながらツアーではすべてスルー。黙々とモスクへ向かうのみです。

全貌が見えてきました。アラバスター(雪花石膏)の外観が使用されているので、アラバスター・モスクとも呼ばれています。

壁の途中にアラビア文字が書かれたブルーの箇所があって、その説明を受けたのだけどなんだったんだろうな。材質のことだったかもしれない。

モスクは土足厳禁なので靴を脱いで入ります。もしくは10EGPほどでフットカバーがもらえたみたい。足元がブルーの人はフットカバーを履いています。入れば誰もが感嘆の声を上げるオスマン建築のモスクは、1830-1857年にムハンマド・アリの指示によって建てられた比較的新しいモスクです。

東ローマ帝国(ビザンティン帝国 現トルコ)のアヤソフィヤ(Ayasofya Camii)やスルタンアフメト・モスク(Sultan Ahmet Camii)、スレイマニエ・モスク(Süleymaniye Camii)など、現在のイスタンブールにある複数のモスクの建築様式を模して造られており、豪華絢爛な内装となっています。

モスクには必ずメッカの方角を示す場所があり、壁にミフラーブと呼ばれる窪みが造られています。右隣りの大理石の階段はキリスト教でいう説教壇のミンバルで、ムハンマド・アリの多くの子孫のうちの1人であるファルーク国王から1939年に贈られたものです。

右手前がオリジナルの木製ミンバルで、金メッキの装飾が豪華。

天井を見上げると中央の大ドームを四方の半ドームが囲っていて、さらに四隅に小ドームがあります。

この豪華さはアヤソフィアにも引けを取らないと言われているそうですが、イスタンブールにも行ってみたいな。

ただ、実は掃除はしていないっぽい。豪華なシャンデリアは埃で覆い尽くされているの。モスクの入口は開いているので、突風のときは埃がもれなく浮遊するのでご注意を。その埃の凄さをアップで撮ればよかったかも(笑

いつか掃除のタイミングの時期があるのかもしれませんが、大仏さまのお身拭いのような行事はなさそう。検索した限りでは2022年12月に修復作業を終了したという記事を見つけたので、3年分の埃が蓄積しているかも。ひぇ~

1849年ムハンマド・アリはモスクの完成を待たずに亡くなりました。お墓はモスク内の一角にあります。

棺らしきものが見えています。キリスト教でも同じように教会内に祀られていますが、なんとなく生々しく感じるわ。

モスクの外に出ると中庭があります。新年を迎える準備なのか木製通路の設営が進んでいました。

ここで有名なのは時計塔。フランスのルイ・フィリップ1世から贈られたもので、ルクソール宮殿にあるオベリスクのお返しでした。オベリスクは今もコンコルド広場のシンボルとして立っています(2015.8月訪問)。

ただこの時計塔は損傷した状態で届いたとも言われ、少なくとも今も動いていません。ルクソール神殿のオベリスクの対価には見合わないとエジプトでは考えられているそうなので、修理に値しないと考えたのかもしれません。確かに3000年以上前の古代エジプト時代の貴重なオベリスクからは見劣りするかも。

モスクを振り返ってみると、ミナレットが見えます。ミナレットは権威の象徴でもありましたが、最多はサウジアラビア、メディナにある第2の聖地「預言者のモスク」の13本だそうです。ただ私、第1の聖地であるメッカがサウジアラビアにあるということは、無知ながら今まで知りませんでした。エルサレムにあると思っていたのです。

ちなみに、メッカ=預言者ムハンマドの生誕地、メディナ=預言者ムハンマドの墓廟地、エルサレム=預言者ムハンマドがイスラミラージュ(一夜にして昇天した体験)した地で、いずれも聖地とされています。

モスクでお祈りするときは身体を清めるので、屋根部分に雨水を貯め下のドーム状についた蛇口で洗っていたと説明を受けました(何度も書きますがガイド氏の日本語がわかりにくかったので違っていたかもしれない。カイロの年間降水量は30mlと言っていたので雨水はきっと貯まらないよね)。

不確かなのは雨水だったかどうかで、身振りで身体を清める様子は教わりました。蛇口部分の下は窪んでいて、水が受けられる形状です。

モスクを出るとカイロ市内が一望できました。正面にカイロタワーが見えています。

眼下にはモスクがふたつ。右が20世紀完成のアル・リファイ・モスク(Al-Rifa'i Mosque)でキリスト教教会のような雰囲気があり、左のスルタン・ハサン・モスク(Mosque-Madrasa of Sultan Hassan)は14世紀建築でアルハンブラ宮殿で見た鍾乳石のような美しい彫刻のある入口を持つモスクのようです。

遠くにピラミッドも望めました。エジプトでは現在も建築中というニューカイロ地区を除いては戸建てを見ることがほとんどありません。ここも決して裕福とはいえないだろうアパートが建ち並んでいました。

帰り道に修復中の建物がありました。GoogleMapではアル・ガウラ宮殿(Al-Gawhara Palace)と出てくるのですが、ガイド氏は女性用のモスクだと言っていました。イスラム教では男女隔離が基本です。

1時間ほど見学して、13時半を回りました。ランチに向かいます。このツアーではランチなしであれば10USD(1,550円)安かったのですが、エジプトではそこそこの金額なので、何が食べられるのか少し期待していました。食事内容はガイド氏と相談してとホテルでは言われていましたが、どうも決まっているようでした。