英語も話せないし飛行機も苦手、それでも個人手配で海外旅行

交通費嫌い。飛行機は苦手だけどヨーロッパ大好き。空港ラウンジ目的でSFC修行済み。休暇の取れない勤め人。

【佐賀】はじめての佐賀2日目 呼子の名護屋城跡を案内してもらう。

2019年(平成31年)3月17日(日)
 
相棒の誕生月3月。
今年は私がまだ訪れたことのない佐賀、呼子へ烏賊を食べに行こうと決定!佐賀へ行けば、足を踏み入れていない都道府県は、青森・愛媛・宮崎と残すところ3県になります。
前回は呼子のホテル大望閣の話を書きました。
朝ご飯はお食事処の広間で。コロッケは鯨ですって。

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呼子の朝市へ行こうと、早々にチェックアウト。帰りは呼子のバス停まで送っていただくことにしました。
 
運転手の人が「せっかくだから名護屋城跡でも案内しましょうか?」と言ってくださったので、お言葉に甘えてお願いしました。
 
ここは豊臣秀吉が大陸出兵の拠点として、松浦水軍の波多氏の居城に築城しています。今の東松浦半島の人口は数千人ほどのこの場所に、秀吉没後までの7年間130名の諸大名が集まり20万人もが居住していたそうです。
 
山里口
秀吉はここで側室の広沢局らを召して芝居・能・茶道にふけりましたが、その建物はこの「山里」近くにあったとされています。

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秀吉の死後、破却されていますが、場所柄もあったのでしょう、緩く石垣が残っているのが、あちこちに見えます。

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周辺には黒田官兵衛加藤清正上杉景勝、伊達正宗、毛利利家などの陣跡が118も残っているのが確認されています。なるほど、玄界灘がすぐそこにあるものの入り江となっており、朝鮮半島に最も近いここは、出兵に重要な拠点とことがよくわかります。

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視界に玄海原発があるのが、なんとも残念だとおっしゃっていました。

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秀吉がここにいて茶道を嗜んだことは、唐津焼にも大きく影響したことでしょう。能もまた同様で、能楽師がここで舞うのは憧れだとおっしゃるという話も聞きました。
 
ゆったりと広い城跡には、もうすぐ咲くであろう桜が色づき始めていました。多くは手を入れていない姿が、他の城跡とは違った趣があります。

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歴史に疎い私だけでなく、地元の人でもここが日本の中心であった時代を知らないのだそうです。思いがけない案内をしていただいて、とても興味深い時間を過ごすことができました。
 
呼子へ戻りました。
朝市ではイカや魚の一夜干し、海藻類、野菜などが売られていました。牡蠣がその場で食べられるようだったので焼いてもらいました。特大3つ500円。

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めちゃくちゃ美味しかったです。ひとつは思ったより小さかったからと、もうひとつ焼いてくれるサービスぶり。隣で柚子胡椒を売っていたおじさんが、「美味しそうワシにも焼いて」と注文していました(笑

イカを食べに来たはずが縁がなかったので呼子付近で食べるつもりでしたが、まだ時間が早い。呼子の有名店 河太郎 が博多にあるとわかり、戻ることにしました。

 

筑肥線

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博多に戻って真っ先に 河太郎 へ向かいましたが、日曜日は休憩なしのはずが、13時半には昼の営業終了の札がかかっていました(泣
土地勘のないところで、中途半端な時間に店を探すにも難しく、結局、駅ビルで焼き鳥を食べるハメに。それでも30分以上の待ち時間がありました。
 
国内では臨機応変にした方がいいと思っていましたが、やっぱり予約は必須だと痛感。
次回また福岡空港を使うことがあったら 河太郎 でリベンジしたいと思っています。